今日のこと、調べごとがあって、二条城に出かけたのだった。そのあとお城の外に出て、東に歩くと、すぐのところに京都市立芸大のギャラリー(略称は『@KCUA』なのだそうだ)がある。表の案内をみて驚いた。カントルについてなにかやっている。
展示のタイトルは『死の劇場 カントルへのオマージュ』。ポーランド人カントルは1915年生。1990年クラクフで亡くなっているのだが、その生誕100年を記念してとのことだ。
しかし驚いたといっても、タデウシュ カントルのことはわたしもよく知っているわけではない。帰宅してネットを叩いたが、ほとんど情報は出てこない。この企画をした@KCUAのページにすこしあるくらいだ。
わたしの記憶にあるのは、1980年代に来日して『死の教室』を公演。展示のパネルによるとこれは1982年の利賀村の演劇フェスティバルでのこと。東京公演もあった由だ。
その解説にはなかったが、これはたしかにNHKで放送された。わたしはそれを見た。収録は東京公演の方ではなかったかと思う。この印象が今もまったく消えていない。
不条理劇がだいたいそうであるように、その内容を言葉にするのはむつかしいが(簡単に言葉にできるようだったら不条理劇ではない)、喜劇が笑いによって、悲劇が涙によって何かを表すように、カントルはその『死の教室』で、わだかまりや、無気力によって何かを観客に突き付け、巻き込もうとしていたのではないだろうか。いまにしてそう思う。
死が無意味になることを嫌悪しているのかもしれなかったし、また逆に死の意味付けを拒絶しようとしていたのかもしれないが、いずれにせよテーマは死にまちがいなかった。
カントルは解釈を拒む藝術家である。きっと藝術という言葉も不興をさそったにちがいないが、それは別として、彼は演劇人であるとともに、絵も描き造形もした。しかし今回の展示は、カントルが残した何か、ではなく、むしろカントルに触発された作品がより多く並べられた。そのような作品たちが、現代の京都にもうひとつの『死の教室』を形造る、ということであろうか。
10月10日からはじまっていた展示を今日になってはじめて気がついたという次第で、突然の、ほとんどハプニングだったわけだが、これはカントルを追想するのには、まったくふさわしいことだったとも思う。
期日はあとすこしで11月15日まで。(日本を西洋に含めていうのだが)人生の意味はカントルの生きた時代よりもなお希薄になっているのではあるまいか。かつて『死の教室』を見た方、関心のある方にお知らせしたくなりとり急ぎ記事にしてみた。
(東京芸術劇場でも没後100年の記念企画があるようだが、こちらは名前を「カントール」としているくらいなので、京都の展示との関連はない模様)
ところで、暗いこの会場にはヴィデオ作品も多く出品されていたが、その一つの前に、暗い色の一人座りのソファーがあった。画像を凝視しようとそれに腰を降ろすと、係の人が静かにこちらに向かって歩いてきた。
「これは装置の一部ですから、お座りにならないでください」
現代アートでよく起こる、お約束の光景。
2015/11/12
若井 朝彦(書籍編集)