独のカイザー(皇帝)が冠を失う時 --- 長谷川 良

ドイツではここ数カ月内で国の土台を揺るがすような事件、不祥事が立て続けに起きている。輸出大国ドイツを支えてきた自動車メーカーの大手フォルクスワーゲン(VW)がディーゼル車の排ガス規制を恣意的に操作していたことが発覚し、糾弾されている。「世界で最も影響力のある女性」に選出されたメルケル首相もここにきて支持率を失ってきたばかりか、与党「キリスト教民主同盟」(CDU)内で不協和音が出てきている。直接の切っ掛けは中東から殺到する難民への対応問題で党内から強い反発を受けているのだ。


▲2006年ドイツW杯大会誘致で買収問題があったと報じた独週刊誌シュピーゲル
=10月17日号の表紙(中央がベッケンバウアー氏)

VWの問題が発覚した時、当方はこのコラム欄で、「ドイツの国運が傾いてきた前兆ではないか」と書いたが、その予感が当たる気配がでてきたのだ。独週刊誌シュピーゲルがドイツのサッカー界のカイザー(皇帝)と呼ばれてきたフランツ・ベッケンバウアー氏らが2006年のワールドカップ(W杯)ドイツ大会誘致の際、買収に関与した疑いがあると報じたのだ。

ベッケンバウアー氏(70)は単にサッカー界だけではなく、大げさに表現すれば、ドイツ社会のシンボルだ。選手とコーチ時代にW杯に優勝した同氏はドイツ国民がもっと愛する人間であり、その紳士的なふるまいはカイザー(皇帝)と呼ばれるのに相応しい雰囲気があった。そのカイザーが2006年のW杯誘致問題の買収容疑で王冠を下ろさなければならない事態が予想されだした。そうなれば、ドイツ社会に与えるショックはVWの排ガス規制問題より大きいものとなると予想されるのだ。

ドイツでは9日、独サッカー連盟(DFB)の会長ヴォルフガング・ニールスバッハ氏がドイツ大会の誘致問題で責任をとって辞意を表明したばかりだ。会長の辞任表明が伝わると、ドイツのメディアでは「次はベッケンバウアー氏だろう」という同氏の落日を予想する報道が多くなってきた。

南ドイツ新聞によれば、ベッケンバウアー氏が北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)会長のジャック・ワーナー氏との間で大会誘致で交わした書類(2000年7月2日付)が見つかり、そこにはベッケンバウアー氏の署名があったという。同氏の関与をもはや否定できなくなってきた。2006年大会誘致に関する理事の決選投票では、ドイツは12票、南アフリカは11票と1票差だった。ちなみに、独サッカー連盟はドイツ大会直前の2005年、国際サッカー連盟(FIFA)に670万ユーロを送金しているが、その際にもベッケンバウアー氏の関与があったのだ。

ワールド・カップ(W杯)の誘致では、スポンサー、テレビ放送権などで巨額の資金が動く。FIFAの幹部たちが汚職、賄賂、腐敗容疑で逮捕されたばかりだ。そのトップに16年間君臨してきたゼップ・ブラッター会長(79)への疑惑調査も進行中だが、ベッケンバウアー氏の名前が捜査上に浮上してきたのだろう。(「FIFAは国連より大きな組織だ」2015年6月3日参考)。

ドイツは昨年、ブラジル開催W杯で4度目の優勝を飾ったが、ドイツ国民にとって2006年、自国で開催したW杯大会への感動はそれ以上大きいといわれる。大会では、ドイツは3位に終わったが、ゾマー・メルヘン(夏物語、Sommer Maerchen)と呼ばれる感動を国民に与えた。その夏物語が実は買収によって実現したということが判明してきたのだ。ドイツ国民はショックを受けている。夏物語を演出したベッケンバウアー氏は皇帝の冠を下ろさなければならない日が近づいてきているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年11月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。