ブキッキオ報告に、政府は弱腰過ぎないか?

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▲アムステルダムの夜の運河と飾り窓地区(ウイキより)

ブキッキオ発言の訂正と陳謝を要求せよ


池田先生がブログで指摘された、国連のブーア・ブキッキオ特別報告者が記者会見は、矢張り世間の物議を醸した。ブーア・ブキッキオ女史が「日本の女子学生の13%が援助交際を経験している」と発表した件は、すでに大きく報道されたので省くとして、この問題の政府の対応について述べてみたい。

外務省の「事実に反している」と言う抗議に対して「誤解を招くものであり、今後この数値を使用しない。又、国連への報告書でも言及しない。」とする書簡が届いたことを受け、菅官房長官は「事実上、発言を撤回したものと受け止めている。」と、これで幕引きをはかるとも思える発言をされたが、これでは余りにも弱腰すぎる。

世界に公表された記者会見で、誤った情報を検証もせずに発表し、日本の人権問題への疑問を世界に流布したにも拘らず、簡単な事務処理で済ませることは誤解が広がるばかりであり、この発言の訂正と陳謝を公開の記者会見の場でする事を要求すべきである。

日本政府は悠長に構えるな


「喉もと過ぎればなんとやら」と言うが、日本は度重なる国連の偏見報告書のお陰で、人権小国の汚名をかぶされて来た被害国である事を忘れては困る。

国連の公式HPによると「日本の公式統計では児童買春は減っている事になっているが、政府当局者はその根拠を示す事が出来なかった」と、自分の誤りを棚に上げて日本政府の誤魔化し体質を非難していることからも、日本政府の沈黙はこの非難を認めたと見做される恐れがある。

この資料は又、儲かる商売なら何でも安易に社会的に容認する日本の風潮を批判した事は良しとしても“特に極端な児童ポルノ・コンテンツを扱った漫画やいわゆる「着エロ」や「 JK ビジネス」の様な児童を性的に搾取する取引は禁止すべき”だと政府や国会に具体的な要求もしている。

この指摘に賛成するにしても、反対するにしても、政府は早急に正式見解を出すべきで、いつもの様に正式レポートが出てからなどと悠長に構えるべきではない。

ブキッキオ氏の母国・オランダ政府の「国際対応力」


ブキッキオ女史がオランダ出身だから言う訳ではないが、オランダ政府の国際批判に対する反応は素早く強力なものがある。

米国国務省が「公娼制度は売春と人身売買の機会を増加させ、児童、特に少女が人身売買の対象になる可能性を増す」と言う報告書を出し、サンフランシスコに本拠を構える売春や人身売買の広がりを防ぐ事を目的とした「NOT FOR SALE」と言うNPO団体が「オランダには、東欧を中心にした貧困諸国からかき集められた児童を含む2万5千人以上の女性が、厳しい条件の下で売春婦をしているが、我々がアムステルダムで運営している売春婦の更生施設の入所者の過半数が、人身売買業者の手で売られてきた犠牲者である」と言う調査報告書を出した事がある。

この調査報告書を基に、厳しくオランダを追求した国連婦人残虐行為防止委員会の委員に対し、オランダ政府の代表は自分の集めた資料を駆使しながら「2000年に我々が売春業を合法化した理由は、これまで地下営業で秘密のベールに包まれて来た売春業を公認したことで公衆の監視の元に置く事ができ、犯罪や性病の予防にも貢献している」と強行に主張し、その場を収めてしまった。

最近では皮肉な事に、公娼国のオランダ、ドイツ、オーストリアが人身売買国際ランキングで高い評価を得ている事は、統計や事実より国家の政治力やブランド力の方が強い影響力を持つ現実を物語っており、日本の外交、司法、広報の体質変化が喫緊の課題となっている。

“舶来尊重”の精神から脱却を


最後に、国連の公式HPに発表された範囲で、ブキッキオ報告の質と内容について私見を述べておきたい。

報告には「川西市」を「川西県」と呼ぶご愛嬌もあったが、「I have discovered 云々(私は色々な事実を発見した)」とか「I have learnt first-hand云々(私は直接学んだ)」と言う表現が出て来るが、売春婦本人とか人身売買の犠牲となった児童は勿論、人身売買業者などの直接関係者に面談した形跡は全くなく、8日間で東京から沖縄までの各地を行脚して、多くの人から細切れに話を聞いたスケジュールからを見ると、他人の話を自分の裁量で纏めた「伝聞レポート」と言った方が正確であろう。

伝聞が主体なら、聴聞した人物を具体的にに示して貰わないとこのレポートの信頼性を測る事すら出来ないが、レポートの「お説教調」から判断すると、先ず個人の偏見をベースにした結論ありきのレポートにも思える。

何れにせよ、この様なレポートがそのまま事実として世界を駆け巡る愚だけはくり返してはならない。池田先生が指摘された様に,内容に拘らず「国連を有難がる」習慣は、明治維新が持ちこんだ「舶来尊重」の悪しき伝統とは言え、そろそろ卒業しなければならない時期である。

北村 隆司