私がフランス大使館前で献花した5つの理由

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(写真はフランス大使館前、カメラ光は大使館前で取材中の大手メディアのものです。)

2015年11月14日午後6時、私はパリで同時多発的に発生したテロの犠牲者への哀悼の意を捧げるべく、フランス大使館前に献花を行いました。一市民である自分が何故このようなことを行ったのか、下記に5つの理由を述べさせていただきます。

(1)犠牲者への哀悼の意を捧げること

今回のテロでお亡くなりになられた皆様への哀悼の意を、フランスの方々に日本人として直接何らかの形で示したかったからです。

私自身も海外に出かけることも多く、フランスにも一昨年訪れた経験があり、パリにも友人や知人も住んでいます。平和に暮らす人々が突然命を奪われたことに強い怒りを覚えつつ、その犠牲者となられた皆様への思いを表現させて頂きました。

(2)自由社会への挑戦であるテロに屈してはならないこと

テロは私たちの社会を構成する「自由」という価値観を脅かし、理不尽な暴力で生命・財産を奪う行為です。

自由と民主主義を標榜する日本人として私たちの社会を構成する価値観への挑戦に対して屈さない意志を示す必要があります。そのため、遠く離れたフランスの地にいる自由と平和を愛する仲間への連帯の意志を示させて頂きました。

(3)国会議員・地方議員のFBやTwitter配信内容に義憤を感じたこと

本来であれば、犠牲者への哀悼の意やテロに屈さない意志は、国会議員などの皆様が強い決意を持って意見表明されるべきだと感じています。なぜなら、これはテロリストと私たちの社会の「価値観」の衝突だからです。

しかし、私が、FB、Twitter、報道を見ている限り、誰一人として自らの行動としてフランス大使館まで出向いて連帯の意志を示そうという方がいませんでした。既に公務がある場合や地元で予定があることは理解しますが、このような時に国際社会に日本人の代表として意思表明(価値観を表明する)をせずに一体いつ行うのでしょうか。

日本の国会議員のあり方に義憤を感じ、私自身も夕刻以降の予定はキャンセルし、フランス大使館前に向かわせて頂きました。正直申し上げまして、私の微力な行為がどれだけ意味があるかは分かりませんが、この理由が最も大きな理由です。

(4)TVメディアの報道内容を論じるよりもメッセージの発信が大事だということ

テロの第一報が入って以来、ネット上は平常運転でくだらない内容を流し続けるTVの報道内容の是非の話題で盛り上がっていたように思います。しかし、TVが社会の木鐸としての役割を放棄するなら彼らは勝手に廃れて滅んでいけば良いだけのことです。

そのような不毛なメディアについて是非を論じるよりも、まず優先事項として、日本人としての態度、そして自由を標榜する諸国との連帯する意志を示すべきだと感じました。だから、報道に対する受け手の姿勢ではなく、自らが主体的に動こうと思ったことも動機の一つです。

(5)国内の反動勢力の言論へのアンチテーゼを示したかったこと

このような事件が起きた後、国内ではこれに乗じて警備の強化などを名目として、国民の自由を制限する意見が多数出てくることになるでしょう。

私はテロリストには断固たる対応を行うべきだと思っています。しかし、明確に申し上げますが、「テロと戦うこと」と「国民の自由を制限すること」は全く異なる行為です。むしろ、国民の自由を制限する行為は、私たちの社会の価値観を放棄し、テロリストに対して譲歩するということを意味します。

テロリストにとっては世界中を半戦争状態とし、私たちの社会から自由の価値観を奪うことが政治的な勝利なのです。たとえ、テロリストを全員捕らえて罰したとしても、私たちの自由が社会から無くなっていれば私たちの負けなのです。

そのため、この場を借りて、私たちの社会の内部から現われる「自由の価値観を放棄しよう」という声に対して明確に抗する意志を述べさせて頂きます。

最後に、多くの日本人にフランスで自由のために戦う人々を精神的に支える表明をしてほしい、と思います。この戦いは自由の価値観に対する戦いであり、私たちが連帯の意志を示すことが最も有効なテロへの対抗手段となります。

テロリストの暴力では私たちの社会を変えることはできません。私たち自身が自由を放棄したときにテロリストが勝利することになるのです。この戦いは既にフランスだけでなく日本でも始まっているのです。

渡瀬裕哉
早稲田大学公共政策研究所地域主権研究センター招聘研究員
東京茶会(Tokyo Tea Party)事務局長、一般社団法人Japan Conservative Union 理事