本書英語からの日本語訳は1994年に出版されセンセーションを巻き起こした。
毛沢東の中国歴代帝王の評価がおもしろい。殷の紂王、秦の始皇帝、唐の則天武后、隋の煬帝と言えば中国史上暴君として悪名が高いが、毛沢東の評価はいずれもすこぶる高い。毛沢東の評価の基準は殺した人の数ではない。中国の統一と強大化にどれだけ貢献したかだ。
毛沢東とスターリンの関係も興味深い。毛沢東は建国前にも建国後も何度もスターリンに煮え湯を飲まされている。毛は建国早々モスクワを訪問している。ところがスターリンは2ヶ月も毛をほったらかしにした。中ソ友好同盟相互援助条約が締結されたのは翌年2月である。毛沢東は建国早々3ヶ月余も国を留守にしたことになる。
この条約の調印シーンはニュース映画で度々見たことある。毛沢東は憮然としており少しも嬉しそうでないのが長く疑問だったが、これで氷解した。
そんな二人の関係だったがフルシチョフのスターリン批判は毛沢東に深刻なショックを与えた。しかも中国共産党の指導部がこれに同調し、個人崇拝を批判したことでスターリンの運命は明日の自分の運命だと不安に苛まれた。10年後、劉少奇鄧小平批判としての文化大革命はここに端緒がある。
「私生活」と銘打っているが、公的活動部分が相当の比重を占めていて私にはそっちのほうに興味をそそられた。
毛が夜毎ダンスパーティを催し、そこで気に入った女に夜伽をさせていたことなど私にとってはあまり重要な情報ではない。
中ソ関係。中国が朝鮮戦争に参戦したのは毛沢東独自の決断であってスターリンの要請に基づくものではなく、スターリンは米ソ全面戦争への拡大を恐れて反対したこと。当然武器援助も渋った。それで毛沢東は無償援助できなければ武器を買取ることにしようと申し出た。この買い付け代金が後々まで中国を苦しめることになり国内で餓死者が出ている時にも武器購入代金としてソ連に食料を送ることになる。
スターリンは東北(旧満洲)を中国本土から分離独立させソ連の傀儡国家にしようとした(高崗事件)。スターリンは外モンゴールをソ連の傀儡国家にしただけで満足しなかったのだ。そもそも昭和20年日本に参戦し満洲国に侵入したのもそうした下心があったからだろう。
台湾の金門馬祖島へ突然砲撃をしかけたのは米ソ緊張緩和を計るフルシチョフへの当て付けであったこと。
中国国民の間で周恩来の人気は高いが、ここで描かれた周恩来像ははなはだ冴えない。ひたすら皇帝毛沢東の鼻息を伺う小心翼翼たる宰相に過ぎない。特に江青にまでおべっかを使うあたりは興ざめだ。
ただ「周恩来秘録(高文謙著)」では「毛沢東が周恩来のガンの手術を認めなかったのは周恩来の死期を早めるためだった」と書いてあるがそうではなく毛は医学と医者を信用しておらず、どうせ助からないものなら無用の苦痛を与えるべきではないと考えたから。実際毛の忠実な僕であった康生の手術も認めていない。
毛は自分の健康にも甚だ無頓着で医者の助言を無視し治療を拒むことが度々あった。毛がもう少し医者と近代医学を信用していたら彼は90歳まで生きられたかもしれない。但しその分中国人民の不幸は続くことになったであろう。
だがそもそも党と政府の幹部の手術に毛沢東の同意が必要であったとは。
ここに描かれている江青の横暴ぶりには胸が悪くなる。
いわゆる四人組の逮捕を主導したのは汪東興(中南海警護責任者)で華国鋒(首相)と葉剣英(国防部長)が協力した。著者は汪東興からこの逮捕劇を事前に知らされた。このことからも二人の間に深い信頼関係があったことが伺える。独裁国家ではえてしてトップの警護責任者が大きな権力をもつ。これは警護責任者がトップとの面会者を選別するなどトップが得る情報をコントロールできるからである。
汪東興はこの逮捕劇のシナリオを毛沢東存命中から長く温めていた。汪東興は鄧小平復活にも大きな貢献をしたが、後に鄧によってすべての職を解かれる。
周恩来は毛沢東より先に死んだので四人組とどう対峙するかという困難な問題に直面しなくてすんだ。もし周と毛の死の順序が逆だったら周は江青の逮捕に同意しただろうか。興味ある歴史的イフだ。
毛が死ぬと四人組以外の党幹部はぞんざいに接するようになったので江青には没落の予感があったはずだ。以下はこの本の著者と汪東興の推測だが、彼女には起死回生の一手として瀋陽軍区政治委員であった一味の毛遠新(毛沢東の実弟の子つまり甥)を通じて東北軍を動かし北京を軍事的に制圧する計画を懐いていた。ただ仮にそうした計画があったとしても毛沢東あっての毛遠新であったので毛亡き後、彼が実際に東北軍を動員できた可能性はほとんどなかったのではないか。
青木亮
英語中国語翻訳者