クロアチアの女史が問う「男の責任」 --- 長谷川 良

クロアチアの放送ジャーナリスト、M女史と久しぶりに国連記者室で会って、話した。テーマは当然「パリ同時テロ」になった。M女史は、「クロアチア国民もパリのテロ事件には大きなショックを受けた」という。一方、バルカン・ルートで押し寄せてくる難民については、「ジュネーブの難民条項に一致するシリア難民は受け入れるべきだが、受入れは次第に難しくなってきている。難民を受け入れているのは欧州連合(EU)28カ国のうちドイツ、オーストリア、スウェ―デンなど数カ国だけだ。他のポーランド、チェコ、ハンガリーなどの東欧諸国は難民の受入れを拒否している」と説明した。

イスラム国のテロリストが難民の中に紛れ込んでくる危険性については、「やはり、EUはギリシャやイタリアで難民の身元をチェックできる体制を早急に立てなければならない」という。クロアチアとしては、「スロベニアとオーストリア両国が防御塀を立てたならば、わが国も何らかの塀の建設も考えなければならないだろう。目下は実施していない」という。

「パリ同時テロ」後、欧州全土でイスラム・フォビア(イスラム嫌悪)が見られだしたが、M女史は、「わが国には昔からイスラム教徒が住んでいる。イスラム教徒だからと言って嫌悪することはない」と述べた。

M女史が力を入れて語ったのは難民の現状だ。「難民の中には西側から支援を受けて当然と考え、提供された住居に文句を言う者もいる。考えられないことだ。スウェ―デンでは家族持ちの難民に広い住居を提供したところ、生活に便利な市内のアパートメントを要求したという話がメディアに流れ、難民に好意的なスウェーデン国民もさすがに呆れ返ったという。われわれはボスニア紛争(1992~95年)で難民生活を体験してきた。母国を捨てて逃げることの大変さは解かる。それにしても理解できないのはシリアから逃げてくる難民はほとんど男たちだ。特に若い青年たちだという事実だ。ボスニア紛争時には、難民として逃げるのは女性と子供と決まっていた。男たちは母国に残り、国を守るため戦った。それが男の責任だったからだ。しかし、シリアから逃げてきた難民の3人に2人以上は若者たちだ」と述べ、首を傾げた。

少し、説明しなければならない。シリアの難民事情はボスニア紛争時とは異なっている。シリアの若者を弁護する考えはないが、シリアではアサド政権派か、反政府派(複数)か、それともスンニ派過激組織「イスラム国」の3つの選択肢しかない。どこにも所属しない場合、生命の危険がでてくる。また、女と子供が逃げるとしても、長い路程を歩いていくためには体力のある男の助けが必要だ。一方、ボスニア紛争の場合、オーストリアまで遠くないから、女と子供は自力でオーストリアに国境線まで逃げることができた。だから、ボスニア紛争時は女と子供を先に逃がし、男は母国に留まり、国のために戦ったわけだ。

ただし、M女史の言いたい点は理解できる。男が国を守るために残り、国のために命を捧げる。若者が真っ先に逃げ出す国には未来はない。国の未来に対して、男は責任がある。M女史の言いたい点はそこにあるのだろう。

カトリック教徒のクロアチアのM女史は、「理解できない点はまだある。同じ宗教を信じている湾岸諸国がシリア難民に対しまったく連帯感がないことだ。資金があり、アラブの同胞なのに彼らは無関心だ。イスラム教徒のシリアの難民を助けているのは西側キリスト教社会だ」と少し、憤りながら説明した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年11月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。