偉大なる人物の偉大なる思想に学ぶ

致知』2015年12月号の「奇跡を生きた偉人たちの物語」と題された記事の中で、社会教育家の平光雄さんは次のように言われています――一度心に決めたことは、何事があろうとも絶対に諦めなかったのが、偉人の偉人たる所以(ゆえん)であるということなのです。言葉を換えれば、「偉大なことをやった人というのは、心が偉大であった」と言ってもいいでしょう。


当ブログでは嘗て、「無から有を生ずる人」「不可能を可能にする人」「今まで非常識だとされていたことを常識に変える人」のどれかに該当する人が偉大な人だ、という私の定義を『偉大なる常識人たれ』(14年2月21日)等で御紹介したことがあります。

あるいは『将に将たる器の人』(12年11月30日)では、対立する敵からも一目置かれ「あの人のためなら…」と敵対者の中からも協力者が現れ、そして結果を出すべく一つの合意に纏める力を発揮できる、つまりは正反合の世界をどれだけ創ることが出来るかによって、その偉大さが定義されてくるのではと述べたこともあります。

此の偉大な人ということでは私も、「偉大とは人々に方向を与えることだ」というニーチェの名言をよく引用することがあります。また5年前には、「自分の小欲に克ち、社会の為にという大欲に生きる人が偉大な人」だとツイートしたこともあります。

世の中には運だけで偉業を遂げたという人もいるかもしれませんが、そうした人は極々稀でその殆どは多くの人間の支えを受け社会から重用されて成功に至るものです。そして彼らの足跡を訪ねてみれば、決して私利私欲のためには生きていません。世のため人のためという気持ちを常時失わずにいる人が、結局後世に偉大な業績を残しているということです。

私は常々深く生きる大切さに気付くため、英雄伝や偉人伝の類を読むよう社員等に勧めています。そうした偉人の生き方を知ることは、自分を高めるために大いに役立ち、非常に意義あることだと思うからです。

本当に偉大な人とは死して尚、何代にも亘って影響を及ぼせる人ではないかと思います。例えば、私が私淑する安岡正篤先生は一介の無位無官の市井(しせい)の人であり、御自身は処士(しょし:民間にあって、任官しない人)を以て任ぜられました。しかし人は、「一世の師表(しひょう:世の人の模範・手本となる人)」「天下の木鐸(ぼくたく:社会の指導者)」「稀代の碩学(せきがく)」等々と称したのです。

鬼籍(きせき)に入られて既に30年超が過ぎたにも拘らず、今なお数多の人が先生ご自身の著作は勿論のこと講話・講演録その他様々な関連書物を通じて、先生に親炙(しんしゃ:親しく接してその感化を受けること)しています。偉大な人物とは正に、先生のような人を言うのであろうと思います。

同様に孔子にしても森信三先生にしても、その思想は今日まで語り継がれ読み継がれて、共感を得ているわけです。私自身、魂が打ち震えるような感動を覚え、同時に自身の未熟さを思い知らされた森先生の『修身教授録』には必ずや、何時の時代に誰が読んでも感銘する部分があるでしょう。

先生は此の『修身教授録』の中で、「真に偉大な人というものは、人生をあらゆる角度から眺めて、自分もまたそのうちの一人にすぎないと見ていますから、その人の語る言葉は、色々な立場において悩んでいる人、苦しんでいる人々に対して、それらの人々の心の慰めとなり、その導きの光となる」と述べられています。

「真に偉大な人」とは、「自分もまた人生の苦悩の大海の裡に浮沈している一人にすぎないという自覚に立っている」とも森先生は言われておられます。そしてまた、「全て偉大な人というものは、優れた言葉を残されるものでありまして、それがその人の肉体は朽ち果てた後にも、いつまでも残って、心ある人々の心の中に生きる」のだとも言われます。

明治から昭和の国語教育者である芦田惠之助先生が残された言葉、「自分を育てるものは結局自分である」もそうですが、偉人の残した思想とは長く後世に語り継がれ行くものであります。幾ら大金を残したところで、物である限り何時かは消えて無くなります。けれども、人の生き方や思想は違います。古典を読む意味とは、そこにあると言えましょう。

偉大なる人の偉大なる生き様や思想を知ることで、我々はその時代その場所に生きていた人と同じように感化を受け、その考え方を共有することが出来るのです。大切なのは、そういった古典や伝記を読んで感激し、深く感銘して共感するということです。いつ誰が何をしたと幾ら暗記をしてみても、それが知識として頭に入って行くだけで、大した役には立たないのです。

例えば、モンゴル帝国を築き上げたチンギス・ハーンに学ぼうと考えたらば、彼が戦争に勝つ為そして統治をして行く為に、考え抜き他から学んで自己進化を遂げたかを調べてみるということです。言うまでもなく、戦勝するために役立つ人材と統治するために役立つ人材は、同じではありません。

分かり易い例として徳川家康を挙げてみても、所謂「関ヶ原の戦い」までの家来達とそれ以後「徳川三百年」の礎を創って行く家来達とは、当然ながら能力・手腕が違う人間であるべきです。即ち、「関ヶ原の戦い」までは軍略家や戦略家、腕っ節の強い人といった戦に勝ち抜くための人材が求められますが、天下平定の後には如何に国を平和裏に治め徳川政権の長期安泰を維持するか、というところに知恵を出すような人材が必要になるのです。

これ以て状況変化に応じ、ある時点より考え方が変わっているはずです。創業には創業の難しさがあり、守成には守成の難しさがあるわけです。そうした疑問に対する答えが、歴史を勉強すれば分かってきます。歴史を創り出すは正に、生きている人間であります。人物の生き様を年代順に並べたらば、それが年表に描かれる歴史になるだけの話です。歴史に学ぶとは人物に学ぶことであり、安岡先生の唱道される人間学そのものなのです。

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