ウィーンの本部で開催中の国連工業開発機関(UNIDO)第16回総会3日目の2日午後4時、北朝鮮の金光燮大使が演壇に立った。当方は演壇に近づき、写真を撮った後、大使の演説内容に耳を傾けようと考えていたが、金大使はなんと朝鮮語で演説を始めたのだ。金大使は言語に長けた外交官だ。英語は流暢であり、ドイツ語、チェコ語、ロシア語まで話す。2年前のUNIDO総会では英語で演説している。なぜ、金大使は今回、朝鮮語で演説したのだろうか。これが今回のコラムのテーマだ。
▲UNIDO総会で演説する金大使(2015年12月2日、ウィーンの国連会場で撮影)
ご存知のように、国連では英語、ロシア語、フランス語、中国語、スペイン語、そしてアラブ語の6か国語が一応、公用語となっている。国連関連の会議ではこの公用語で演説するのが基本だ。アフリカやアジア出身の外交官は国連では英語かフランス語で演説する例が多い。
日本の場合、国連分担金が米国について多いが、日本語は国連公用語でない。国連で演説する場合、通常は英語だ。2年前、ウィーンの国際原子力機関(IAEA)第57回年次総会に参加した山本一太科学技術相は英語で演説し、記者会見でも英語で質疑応答していた。
もちろん、英語が苦手な日本人閣僚も少なくない。その場合、日本外務省が国連に通訳代を払い、閣僚が日本語で演説し、それを日本語から英語に通訳し、そこから他の言語に更に通訳するやり方だ。国連の会議場で日本語が響き渡るといった光景が出てくるわけだ。
金大使の演説は5分余りで短く、その内容も開発途上国へのUNIDOの役割を評価し、UNIDOの今後の活動に期待を寄せる、といった極めてありふれたものだった。演説の中で1度だけ、金正恩第1書記の名前が飛び出した。その他、国際社会の制裁にも関わらず、水力発電所の建設など実現したことを淡々と言及しただけだ。インパクトも新鮮味も欠けた演説だった。
テーマに戻る。なぜ、英語も堪能な金大使が今回、朝鮮語で演説したか。北当局が8月15日から平壌時間を導入したことを思い出してほしい。その結果、隣国日本と韓国とはこれまで時差はなかったが、今後30分の時差が生じることになった。金正恩氏は自国の独自色に拘っている。元号も「主体」が導入済みだ。そして「時間」で平壌時間を導入したばかりだ。そこで次は「言語」だというわけだ。
国連公用語でもない朝鮮語で北の外交官が演説することで、「朝鮮語が国連の会議場で響き渡った」とラッパを吹けるわけだ。ひょっとしたら、国内向けには「わが国の言葉が国連で公用語となった」とプロパガンダするかもしれない。
読者の中には、「金大使が朝鮮語で話したのなら、他の外交官は大使の演説を全く理解できなかったのではないか」と訝る方もいるだろう。もし、そうだったら、国連側も金大使に朝鮮語演説を認めないだろう。
北側は演説前にUNIDO事務局に英語の演説テキストを渡していたはずだ。だから、国連通訳者はその英語テキストを読みながら金大使の口の動きに合わせて通訳したのだろう。
金大使は国連のUNIDO総会で朝鮮語で演説する。平壌外務省はウィーンから報告を受けると、金正恩氏に早速連絡する。「わが国の外交官がウィーンの国連総会で母国語で演説しました。国連関係者は今後、朝鮮語を理解するためわが国の言語を学ぶようになるでしょう」と誇らしげに報告するかもしれない。
「元号」、「時間」、そして「言語」で独自のカラーを誇示することで満足するのは金正恩氏とその側近だけだろう。一方的な独自色は北の国際社会への統合を益々難しくするだけではないだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。