パリで行なわれていたCOP21は、予想どおり無内容な結果で「全員一致」して終わった。WSJによると、そのポイントは次の5つだ。
- 途上国を含む190ヶ国以上が参加した。
- 世界の平均気温の上昇を、産業革命前と比較して2℃を「十分に下回る」水準に抑え、1.5度以内を目指して努力する。
- 各国政府は2023年から5年後ごとに削減目標を見直し、提出しなければならない。
- 各国政府は今世紀の後半に、森や海など自然のメカニズムが吸収できる水準まで排出量を減らす。
- 各国の排出量の削減計画や資金援助の具体的な約束などは別途公表されるか、協定に伴う判断の中で示される。
ということで法的拘束力はあるが、削減目標も罰則もない、京都議定書よりゆるやかな紳士協定になった。アメリカを入れるには途上国も入れなければならず、そのためには190ヶ国が納得する数値目標を決めることは不可能なので、こうなることは予想されていた。
国連でもWTOでも、参加国が増えれば増えるほど意思決定ができなくなる。すべての国に対して命令できる「超主権国家」ができない限り、多国間交渉は無意味なのだ。TPPがまとまったのも、実質的に日米の2国間交渉だったからで、3ヶ国以上になると、組み合わせの爆発が起こってしまう。
交渉がまとまるためには、カール・シュミットのいうように参加国が一つの圏(ラウム)として共通の利益や理念をもっていなければならない。国際法が機能するのはキリスト教という理念を共有するヨーロッパ公法としてだけで、国連のような異質な国を含んだ国際機関は失敗する。
ネグリ=ハートは、来るべき<帝国>は神聖ローマ帝国のような諸邦の連合ではなく、逆に国際法的アナーキーが国内に広がるだろうと予想した。EUの現状は、ヨーロッパ公法の中でさえアナーキーが避けられないことを示している。
これは国際的な意思決定が「日本化」したともいえよう。建て前上は平等な人々が集まって全員一致でものを決める方式は、和辻哲郎の意味での均質な<人間>が存在するときは機能するが、利害対立が顕在化すると、すべてを先送りする結果になる。
ブロック経済より多国間協定が望ましいというのが経済学の理想主義だが、多国間では何も決まらないというのが実務的なリアリズムだ。コストばかりかかって空虚なCOPは、今回を最後にしてはどうだろうか。