なぜ神はユダヤ民族を捨てないか  --- 長谷川 良

バチカン放送独語電子版によると、ユダヤ教徒とローマ・カトリック教会の神学的対話の成果をまとめた文書が10日、公表された。第2バチカン公会議で採択された宣言文「Nostra aetate」50周年を記念したものだ。欧州全土で反ユダヤ主義が席巻している時だけに、両宗教の関係を記述した新文書の内容に関心が集まっている。

「ノストラ・アエタテ」(「Nostra aetate」)は第2バチカン公会議(1962~65年)でパウロ6世が65年10月28日、「The Relation of The Church to Non-Christian Religions」について表明した文書だ。同文書の第4番目にカトリック教会のユダヤ教との関係について記述されている。

今回の文書は「神の賜物と召命は不変」という新約聖書「ローマ人への手紙」第11章29節の聖句がタイトルに付けられている。

50年前のアストラ・アエタテはユダヤ教への神学的な提示であり、ユダヤ教とキリスト教の相互理解の促進を狙ったもので、カトリック教会の教理書や神学書ではない。新文書(全17頁)は第2バチカン公会議以降、発展してきたカトリック教会の見解をまとめたものだ。

以下、その概要を紹介する。

①ユダヤ教とカトリック教会の対話は過去50年間で発展してきた。第2バチカン公会議の宣言文「Nostra aetate」はカトリック教会のユダヤ教への神学的見解を初めて表明し、定義づけたもので大きな影響を与えてきた。

②ユダヤ教との対話は他の世界宗教との対話とは比較できない。なぜなら、キリスト教は疑いなくユダヤ教にそのルーツを持っているからだ。イエスは本来、イスラエルのメシア、神の息子という枠組みを超えた存在だが、イエスの言動は当時のユダヤ教社会の枠組みの中で理解されるべきだ。

③神は人間に語りかける。ユダヤ教徒にとってそれはトーラー中で表現され、キリスト信者にとっては神が肉体を持ったイエス・キリストを通じて表示されている。

④ユダヤ教とキリスト教はその宗教的伝統や解釈は異なるが、旧約聖書と新約聖書は分離できない統合体だ。キリスト信者にとって旧約聖書は新約聖書の光のもとで理解され、解釈されなければならない。旧約の神の約束が新約聖書の中で成就されていると考えなければならない。

⑤イエス・キリストの救済の普遍性と神のイスラエルとの切っても切れない関係について。イエス・キリストの死と復活を通じて全ての人間が救済される。ユダヤ教はイエスを普遍的な救世主と信じていないが、その救いの恩恵を享受できる。なぜならば、ユダヤ人への神の恩賜とその召命は不変だからだ。

⑥カトリック教徒はユダヤ教徒との対話でイエスへの信仰を証するけれど、ユダヤ教徒をキリスト信者に改宗したり、宣教するような試みはしない。カトリック教会は組織的にユダヤ宣教の意図を持たない。

⑦ユダヤ教との対話の目標について。ユダヤ教徒とカトリック信者は兄弟的な対話を通じて相互理解を促進し、和解を進め、公平と平和と創造世界の保持のため努力すべきだ。反ユダヤ主義に対しては効果的に対応すべきだ。

イエスがユダヤ教徒らに十字架で殺害されて以来、ユダヤ教徒は「キリスト殺害」の批判を受けてきた。キリスト教の中には受難の日にユダヤ教徒の為に「聖金曜日の取り成しの祈り」(Karfreitags-Furbitte)を捧げたりするが、文書では「ユダヤ人への神の恩賜とその召命は不変」と明記し、ユダヤ民族の「キリスト殺害非難」に対して明確に一線を引いている。また、キリスト教会のユダヤ人伝道に対しては、はっきりとその意思のないことを明記している。

問題点は、イエスの福音を信じることで救われるというキリスト教の基本的な教えを拒否したユダヤ教徒がなぜ神の恩賜を受けられるのかについて、文書は「人知では計り知れない神の秘密」と記述しているだけで、曖昧模糊な表現に留まっていることだ。

なお、バチカン放送によると、フランシスコ法王は来年1月17日、ローマのユダヤ会堂(シナゴーク)を初めて訪問する予定だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。