わが人生闘争なり

池田信夫さんは「カリスマを排除する凡人社会」(14年03月04日)と題したブログの中で、「日本の企業でカリスマになろうとしてこけるケースは多い。それは日本社会にカリスマを殺すしくみが内蔵されているからだ(中略)。日本は、カリスマなしで凡人だけでやっていくシステムをつくった」等の指摘を行われております。


此のカリスマという言葉が適切か否かは分かりませんが、我が国では「出る杭は打たれる」ということが一つのナショナルステレオタイプ(national stereotype)のようなものとして、確かにあるように思われます。

他方たとえば米国においては、寧ろ出る杭に拍手喝采するといった風潮があります。また更には功成り名遂げた人が、その成功を社会に還元するという伝統思想が当国には存しています。その模範を挙げるならば、昔で言えば鉄鋼王アンドリュー・カーネギーであり、近年ではビル・ゲイツやウォーレン・バフェットでありましょう。

カーネギーに例をとれば、カーネギー財団やカーネギー研究所、カーネギーメロン大学やカーネギーホール等を作って、人類に対する貢献活動を積極的に行ったのです。あるいはそこまでの人物に非ずとも、そこそこ成功した人の殆どはボランティア活動を家族ぐるみでやる等の取組をしています。

日本人というのは、妬み・嫉み・嫉妬の類が結構強い民族だと思います。森信三先生は嫉妬につき、「個としてのわれわれ人間が、自己の存立をおびやかされることへの一種の根源的危惧感にその根源的本質はあると考える」と言われます。之はある意味、人間に付き物の性癖かもしれません。

日本人の場合、誰かの足を引っ張ったりする風潮があるのは事実だという気がします。「出る杭を打つ」イコール「カリスマを排除する」かと言うと、勿論そこに微妙に違ったニュアンスが含まれているようには思います。

私など特段成功しているわけではありませんが、今日までよく足を引っ張られどんどん金槌で叩かれながら、そうしたもの全てをはね飛ばしてきました。野村證券時代を振り返ってみても、同期同士が足を引っ張り合うという様で、そうした妬み・嫉み・嫉妬の類と徹底的に戦って生きてきたわけです。

だから私は、戦後日本に9電力体制を築き上げ「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門さん(1875年-1971年)が残された「わが人生闘争なり」という言葉が好きですし、「闘魂」という言葉が好きです。

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