東田八幡
環境法研究家
(写真)高速増殖炉もんじゅ
原子力規制委員会は11月13日に、日本原子力開発機構(「機構」)の所有する高速増殖原子炉もんじゅに関し、規制委員会設置法に基づく勧告を出した。勧告の中心は、「機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること」というものである。(傍線筆者)
この勧告に対してはその直後から、原子力関係者はもとより法律関係者においてもかなりの違和感を持って捉えられたようだ。ここではその法律的な違和感に焦点を当てて考察したい。
財産権を剥奪する権限が原子力規制委にあるのか?
問題のポイントは、上に挙げた勧告の中の「機構に代わって」という点である。平たく言えば、行政機関である原子力規制委員会がいきなり「もんじゅ」の所有権を機構から奪ったということである。
現行の炉等規制法では、「原子炉設置者」はイコール「原子炉所有者」であることを前提としており、原子炉の運営委託であるとかリースとかいうことは法律上許容されていないし、想定されてもいない。
憲法では第29条で「財産権は、これを侵してはならない」(第1項)とし、また「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律で定める」としているのである。即ち、法律で禁止、制限されているようなことをしない限り財産権は保障されるということである。
それなのに、唐突に機構にはもんじゅの運転を行う主体としての資質を有していないと決め付け、機構からもんじゅを剥奪するというのである。原子力規制委員会にこんなことを言う権限権能が与えられているのか。
法律上は、「安全確保に関する事項」について勧告をすることができるだけであって、財産権を剥奪できるような権限は与えられていないと解するのが常識的な解釈であろう。これは機構が国の関係機関であろうと変わりはない。法律上機構に属するとされた施設についての処分権限は機構にだけあるのであって、それを外部の者が勝手に奪うことはできないというのが憲法の趣旨である。
原子力規制委員会がそれをするというのならば、その権限が設置法に書かれていなければならないのであるが、実際にはどこにも書かれていない。したがってこれは、法的権限あるいは行政の裁量権の範囲を逸脱した法律違反の行為であり、また同時に憲法違反の疑いの濃厚な行政行為であると言わざるを得ない。
適正手続の保障に反した立論
問題はまだある。「機構を代わらせる」即ち、機構からもんじゅを剥奪する前提として、原子力規制委員会は「出力運転を安全に行う主体として必要な資質を有していない」と判断したとしている。勧告本文の前に「一連の経緯と問題点」「評価」と題する3ページほどの説明が書かれているが、それをみても財産権を権力的に剥奪するに足る具体的な根拠、理由が書かれているとはとても見えない。
なぜならば、事実としてそこには抽象的な表現で推論に推論を重ねるようなことしか書かれていないのであるからである。本来今回の件のような憲法で保障された財産権に係わる重大な判断、決定をするならば、それを正当化する具体的な法律的根拠や判断基準とそれに沿った具体的な裏付け証拠等が示されなければならないことは、行政法の分野でも適用される「適正手続の保障」を持ちだすまでもないことである。それにも拘わらず、以下に見るようにそれらは全く示されていないというのが筆者の考察結果である。
抽象論と推測に終始する論拠
それでは原子力規制委員会が、具体的にどのような論理、論拠で「出力運転を行う資質はない」と断ずる判断に至ったのかを勧告文書から探ってみたい。
勧告文書では「2・評価」として、(1)から(7)にわたって「機構に資質がない」旨の論理を展開している。(分量的に2ページくらい)少し長くなるが、その論理のポイントを具体的にまとめる。
(1)では、「原子炉設置者が所要の保安上の措置を適正かつ確実に行う能力は、ソフト面の要求の中心的な要素であって、安全規制上の重要性は言うまでもない」としている。
(2)では、「これを踏まえ、・・・保安措置命令を発出した。」「しかしながら、現時点で、使用前検査を進める前提となる保安措置命令についての対応結果の確認を行える状況にはない」としている。
(3)では、「・・・以上述べたことからして、機構がこれにふさわしい安全確保能力を持つとは考えられない」としている。
(4)でさらに、「今後、施設設備の老朽化や運転員等の流出や力量の低下が徐々に進行することを始め種々の安全上のリスクが懸念されるところであるが、これは、・・・原子炉施設の安全を確保する観点から看過することができないものである。」としている。
(5)(省略)
(6)で、「・・・発電用原子炉の運転を適確に遂行するに足りる技術的能力を有することは必要条件であり、・・・疑義が生ずるよこの必要条件にようであれば、発電用原子炉の出力運転を認めることはできない。」「当委員会としては、・・・機構はもんじゅの出力運転を安全に行う主体として必要な資質を有していないと考える」と結論付けている。
これを見て明らかなように、原子力規制委員会は「資質」の有無を判断するに足る具体的な要件や基準をなんら示していない。また定量的あるいは定性的評価を具体的に示すことなく、単に抽象論や推測を述べているに過ぎない。さらにもっと言えば、同じ事柄を、表現を変え繰り返し述べているだけである。
しかも上でみたように、推測に推測を重ねるという科学的判断にはあってはならない致命的な過ちを犯しているのである。これが科学的議論、科学的判断を標榜する原子力規制委員会の実相であったのかと思うと誠にさびしい限りである。
勧告は、即刻撤回されるべきである
以上見てきたように、今回の原子力規制委員会の勧告は、行政機関の行う行政行為に不可欠の適正手続や立証責任、説明責任が果たされていないのみならず、憲法違反の疑いすらあるということである。法律に従って行政を行うべき行政機関にあるまじきことであると思う。
このような権力的行政行為が、この法治国家である我が国において現実に起こっていることはおよそ信じがたいことである。しかしながら、これは厳然たる現実である。
さらにこの事実が報道されるに至っても、他の行政庁や行政官は何も問題を指摘していない。公務員には憲法上「憲法を尊重し擁護する義務」がある(第99条)というのに。また、人権問題や憲法問題に関心が深いマスコミも何も疑義を呈していない。これはどういうことを意味するのであろうか。
しかしながら、誰も何も言わないからと言って許されるものではない。憲法違反、法律違反の勧告は即刻撤回されるべきであると考える。