男性国会議員の育児休暇は「学級崩壊」だ!

宮崎けんすけ議員の国会育休は「議会制民主主義」への無理解から生じたものに過ぎない

前回の記事「国会議員に育児休暇は本当に必要なのか?」で、国会議員としての業務だけなら「育休」は全く必要が無いことを論理的に検証させていただきました。

ここから先は「議会制民主主義」に無理解な国会議員は辞職するべきだ、ということについてまとめていきます。なぜなら、今回の件は「自らの政治的行動」のためであれば「議会制民主主義」自体をネタにしても良いのか?という問題に直結しているからです。

私は少なくとも「国会議員が育休を取ること」よりも「国会議員が議会制民主主義を大事にすること」のほうが意味があると思います。そのため、育休>国会、という価値観を持つ議員は国会に席を持つべきではないと考えます。

国会への出席をネタにした政治行動に正当性など存在しない、ということ

国会議員にしかできない仕事は「国会に出席すること」です。「育休」を取ることではありません。

国会議員が自らが健康な状態で「国会に出席すること」をネタにして政治的主張を行うことなど、極めて論外な行動です。一人の身勝手な思い付きによる政治行動で議会制民主主義を否定すること、その責任の重さについて自覚するべきです。

今後、別の問題でも「○○の理由があるので休みます。僕は国会の出席よりも○○のほうが大事なのです。」という人々が増えて、議会制民主主義が形骸化することのほうがよほど問題です。このようないい加減な政治行動の慣例を作るべきではありません。

「男性の育休の啓発になった!」と言っている人たちは猛省するべきです。今回の一件は、議会制民主主義を軽視しても良い、という啓発にもなっているからです。前者を達成するための方法は無数に存在していますが、後者は国会議員自らが襟を正すことによって守られることです。

自党議員による議会軽視という由々しき問題に断固とした態度が取れない自民党の腰砕け

自分が歯がゆいと思うことは、自民党の大物議員がしっかりと若手議員を指導していないことです。全員が口で少し文句を言うだけの腰砕けな態度に終始しています。

議会人として人生を過ごしてきた方々は、色々な批判にさらされながらも、国会議員としての論理や矜持については当然に熟知されておられる方が多いものです。

しかし、参議院議員選挙が近く付いているため、大物議員が「若者議員に舐められた」結果として、国会議員に対する指導・教育を十分に行うことができない状況にあります。

自民党は当選2回の国会議員である宮崎さんを予算委員会という花形ポストにつけて育てていますが、議会制民主主義のプロセスを軽視する議員を育てる場所が与党の役割なのでしょうか。現在の自民党の空気感は極めて問題です。

本来であれば大物議員らが議会が何たるかを理解していない若手議員を一喝して終わるべき問題ですが、そのようなこともできない腰砕けの状況は残念でなりません。大物議員がビシッと言い切れば国民もそれなりに支持すると思うので頑張ってほしいものです。

現在の自民党は、モンスターペアレント(男性国会議員の育休に賛成するメディア・有識者ら)に脅かされて、本会議場の中の問題児に手が付けられずに「学級崩壊」しているだけなのです。

スタンドプレーは「議会人としての範囲」で許されるべきであり「議会否定」は許されるべきではない

自らの政治的主張を国民に伝えるためにスタンドプレーを行うことは歓迎されるべきことです。しかし、国会議員がスタンドプレーを行う場合は、議会人としての範囲で許容されるべきであり、議会自体を否定する行動が許されるべきではありません。

宮崎議員にとっては自分が発言するわけでもないときに国会に出席していることは退屈なことなんだろうなと想像します。しかし、国会で行われている議論を聞いた上で自らが質問することも大事なことだと思います。

男性国会議員の育児休暇のルールを作るよりも先に、各党は必要最低限の議会制民主主義について教える仕組みを作るべきです。国会議員には、議会制民主主義を守る人々は自分たちしかいないのだ、という当たり前の矜持を持ってほしいものです。

渡瀬裕哉(ワタセユウヤ)
早稲田大学公共政策研究所地域主権研究センター招聘研究員
東京茶会(Tokyo Tea Party)事務局長、一般社団法人Japan Conservative Union 理事
その他の個人ブログ記事を読みたい人はこちらまで