“ギャンブル依存症”のデータ検証を望む --- 天野 貴昭

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過日に書かせて頂いたギャンブル依存症問題ですが、今やすっかりと大きな話題となっている様で、この問題の重要さを再認識している次第です。今回は新たに伝え聞かれて来た情報を元に、改めて皆様と見識を深めて参りたいと考えています。

【違法問題と依存症問題はきちんと切り離して考えるべき】

まず本件とほぼ同時期に浮上したパチンコ釘の不正問題についてです。これが違法行為である以上は適切に処置して頂きたいと願う事は申し上げるまでもありません。しかし僕はこの「パチンコ違法問題」と「ギャンブル依存症問題」はしっかり分けて捉えるべき問題だとも考えています。

現時点でパチンコの違法性、即ち「ギャンブル性の高いギャンブル行為」が依存症悪化の引き金になるという立証はされていない筈です、そしてこれこそが最も大きな問題だと認識しています。

『は? ギャンブル依存症なのだから、賭博性の高い機器で遊べば依存症のリスクが増えるのは当然でしょ? 』いいえ、それは未だ憶測です。

以前も申しましたが依存症には遺伝性が確認されています。例えば『ギャンブルをやろうがやるまいが依存症になる奴はなる』、『むしろ適度な賭博はそれの緩衝剤になる』といった可能性も除外し切れていない筈です。

勿論これも憶測です。前者の憶測が真ならばギャンブルに歯止めをかける行為は社会・当人にとって有益でしょう。しかし後者の憶測が真ならば『ギャンブルが起因となった依存症』が数値上減少するだけで別の問題が噴出することでしょう。そんなことをして一体何になるのでしょうか?

繰り返しますがこの両方の憶測のどちらが真か? 或いは第三の真実があるのか? それを導き出せるデータは揃っていません。もし僕の勉強不足で既にデータが存在するのならば是非ともご教示下さい(懇願)

【子どもとギャンブル】

併せて考えて頂きたいのはギャンブル開始年齢と依存症との相関問題です。僕は幼稚園に上がる前から父に連れられて競馬場やパチンコ場に連れられて育ちました、そして子供の頃から血気迫る大人を見続けた事で辟易してしまいギャンブルが大嫌いになりました。だから宝くじすら買いません。

『それは貴方が出来た子で、たまたま偶然なのですよ』いいえ、そんな事はわかりません。大体「何をもってギャンブル依存症なのか? 」その定義付けすら曖昧なのですから比較のしようがないのです。

例えば糖尿病ならば「空腹時血糖126mg/dl」という明瞭な指標があります。もしギャンブル依存症にこれと同様の指標があり、「ギャンブル依存症と認定される値」を持つ方とそうでない方とで開始年齢とを比較検証して統計的有意差が出ているのならば、なるほど制限をかけるというご意見にも合点がいきます。

『データ検証? そんな悠長なこと待っていられないよ! 』そう仰る方はいるとおもいます。僕も本症がデータを集積し難い案件な事は理解しているつもりです。でも皆さんが客観的データの揃わないまま運動を続けたら、対象となるパチンコ・ギャンブル業界が消滅するまでひたすらに反対運動を続ける事でしょう。「たとえ皆さんにその様な気が無くても」です。

それでも同様の運動を続けると仰る方を止める手立てはありません。言論・表現の自由は絶対に尊重いたします。只、パチンコや公営ギャンブルの業界の方にも皆さんと同様に家族がいましょうから違法問題以外の圧力に対しては命がけで抵抗して来るでしょうね。

その様な運動が果たしてギャンブル依存症問題の解決に役立つのでしょうか?

【スマホ依存問題について】

これと同様の懸念をスマホ制限運動にも抱いています。昨今小中学生がスマホゲームに数万円も課金する事例があると聞きます、それが異常事態だという事はなるほど同感です。

でもお父さん、お母さん、それは本当にスマホのせいなのでしょうか? 僕に子供はいませんが僕の友人の子やミニバスケットでコーチしていた子の中でスマホにそんな課金する子は一人もいませんでしたよ? もしスマホが原因ならばスマホを取り上げれば問題は解決するでしょう。でも原因がもしスマホ以外にあり、むしろスマホがお子さんの心の緩衝材となっていたならば、その子からスマホを取り上げてしまう行為は有益なのでしょうか?

【最後に】

誤解の無いように申し加えますが、僕はギャンブル依存症問題を放置しても構わないとは一切思っていません。他の疾患の様に動物実験でデータが取り難い事もわかっているつもりではいます(マウスにパチンコは出来ませんから)。恐らくはDSM5を主軸にアンケート中心の調査になるだろうとは推測しています。

僕は「データ収集が追いつかないうちに反対運動が先行すると、本来罪のない箇所までも死滅させてしまいかねない」「何よりその様な行動がまるで当たり前の様に正当化される社会が恐ろしい」と申しているのです。

日本より認知の高いアメリカですらこのようなトラブルが起こっています。依存症患者が依存症を否認する事例は確かに多いですから当事者の主張を重視することはリスクを伴います。だからといって「依存症患者でない者を依存症だと宣言して不利益を被らせる事」が許容されるとも到底思えないのです。

これはかつてのカイワレ大根O157騒動や、体育の組体操や柔道事故問題、ひいては反原発問題でも感じます。問題があった事はわかりますし被害にあった当事者の皆さんの辛さは察して余りあります。でも「何でもかんでも排除・排除」、「そこまでするつもりは無かったのだけど他に手立てが思いつかないから仕方なく全廃」こんな社会で本当に良いのでしょうか?

僕は依存症や放射能よりもこういった社会風潮の方が余程恐ろしいし、次の世代に残したくはないとも思っています。

皆さんはどう考えますか?

天野貴昭
トータルトレーニング&コンディショニングラボ/エアグランド代表