最近、某(自称)社会学者がテレビで差別発言をしたとか話題になっているが、あれは社会学者とはいえない。そもそも社会学という学問が存在するかどうかもあやしい。少なくとも私は、デュルケームとウェーバー以外の「社会学者」から学問的に重要なことを学んだ記憶がない。
それに対して経済学は一応、実証科学の装いをそなえているので、査読つき学会誌の引用数で評価が決まる自然科学の方式が採用されるようになった。これは明らかにいいことで、法学部のように「**先生の弟子だから」といった学閥はほぼなくなった。
他方、こうした方式の弊害も小さくない。このマンガのようなStreetlight effectと呼ばれる「解きやすい問題だけを解く」傾向に陥りがちだ。国際学会誌では「定理の証明」か「計量分析」がないと査読の対象にもならないので、特にポスドクの若い研究者はそういう定型的な問題を選ぶ。
おかげで日本の経済学者には、ほとんど社会的影響力がなく、軽減税率のようにすべての経済学者が反対する政策が通ってしまう。主流の経済学者はテクニカルな論文だけを書いているので、経済学の学位もない「リフレ派」が首相に影響を与える。
ウォーラーステインも批判するように、これは経済学が19世紀の古典物理学をいまだにモデルにしているからだ。経済学の目的は真理の探究ではなく政策立案なので、自然科学でいえば医学に近い。もちろん臨床医学だけではなく基礎医学もあっていいが、治療に役立たない医学に価値はない。
さらに厄介なのは、経済学の場合はその「臨床の知」を扱うのが医師のような専門家ではなく、政治家などの素人だということだ。したがってケインズもいうように、経済学者の本業は同業者しか読まない論文を書くことではなく、素人にもわかる「パンフレット」で経済学の常識を広めることである。
アゴラは今年も、そういうパンフレットの役割を果たしていきたい。今春には、私も『よい子の経済教室』(仮題)という誰にもわかる経済学の本を出す予定だ。