日本人に必要な銃訓練

前回のブログで「平和国家日本、戦闘国家米国」と書いたが、「日本人は命をかけて平和を守ようとする立派な国民か」というと、それは明らかに褒めすぎだろう。「(憲法)9条の会」の面々とて、イザ自分が平和のために戦うか、と問われれば尻込みする方が多いのではないか。

「自分は戦いたくない」「命あってのものだね、イザという時は逃げる」--平和愛好のホンネはそんなところだろう。

戦後、憲法9条を守ってきたのは、議員の3分の2の賛成がないと改正できないという厳しい条件もあるが、自分で戦うのがイヤな国民が多く、改正を阻んできたというのが実態だろう。
日本で刀狩りが成功したのも「戦(いくさ)はお侍様のするもの」「自分は戦わなくて済む」という考え方が広がったからだろう。

戦後、GHQが進出して、日本に平和憲法を敷いた(強いた)時、日本側の一部に反発、抵抗はあったものの、すんなりと通ったのも占領軍の強圧もさることながら、国民にある昔ながらの「平和のDNA」が作用して江戸時代の銃刀不保持に戻ったからというのが、本当のところだろう。

今は江戸期の徳川幕府、戦前日本の政府・日本軍の代わりに米国(米軍)が日本を守っている状態だ。「1951年のサンフランシスコ平和条約で主権を回復した後も日本は米国の属国状態」といわれるのも、沖縄はじめ米軍基地が日本各地に配置され、軍事的には独立していないからだ。それどころか、外交的にも日本は重要な点でほとんど米国に従属している。

それを屈辱と感じるのは保守派の日本人だけ(私もその一人)。また、米国よりも中国(それにかつてのソ連や北朝鮮)にシンパシーを感じる左派も米国への従属に反発している。

だが、左右のイデオロギー意識が希薄な多くのノンポリ日本人は米国に守ってもらう状態を「心地良い」と感じ、この状態を脱しようとは思っていない。

彼らは軍事外交のみならず、国政や地方自治はすべて米国かそれと連携する政府の役人(オカミ)がやればいいと考えており、政治行政に関心を持っていない。「いくさのみならず、政事はすべてオカミ、政治家がやればいい」と思っている。だれでもいいから、我々庶民に迷惑がかからないよう、とにかく「うまくやってくれ」がホンネだ。

無党派支持層が自民党支持も圧倒し、ダントツなのがその証左である。格差が広がっていると言われながらも、大半の国民は貧困や社会混乱の著しい多くの世界各地から見れば、豊かさと平和を享受している。「この状態が続けば、それでいい」「自分に火の粉が降りかからなければ、それでいい」「うまくやってくれ」というのがコンセンサスだ。

集団的自衛権の行使容認や安保法制に反対な国民が多いのも、「自分たちも戦闘に加わらなければならないような場面が増えるのは困る」と思っているからに他ならない。「自分は危険なことはやらない、アメリカやオカミがやってね」というわけだ。

「消費税はふやすな、でも社会保障やきめ細かい行政はやってくれ」と甘ったれた事を言っているのと、ほとんど同じである。

これらは正直な自然の感情であり、必ずしも悪いとは思わない。私にも同じ気持ちがある。それに彼らの大半は持ち場の仕事はきちんとやっている。基本的には勤勉でまじめである。だから、日本経済、日本の社会はもっている。
米軍が圧倒的に強く、それに従っていればいい時代は(日本の独立の誇りの蹂躙とか、属国状態の屈辱とかを除けば)それでも良かった。

だが、それではやって行けない事態が迫っている。北朝鮮は水爆実験(実際、水爆だったかどうかは不明だが)を強行、米国を軸とした安全保障体制の屋台骨を揺さぶっている。

中国の南シナ海、東シナ海でも軍事攻勢も脅威を増している。昨年末から今年にかけて尖閣諸島周辺に派機関砲を搭載した中国海警局の巡視船団が航行し、日本領海内に侵入する事態にもなっている。軍事攻勢が一段と激しくなっているのだ。

今、日本は準戦時下にあると言っても過言ではない。否、中東やウクライナ、欧州でのテロ事件を見れば、世界全体が準戦時下にあると言ってもおかしくはない。

米国が軍事予算を削減し、内向きになっているからなおさらだ。いや、オバマ大統領が内向きになっているからこそ、中国やロシア、イスラム過激派が攻勢に出ている面も大きい。

実は事態は水面下で緊迫しているのに、多くの日本人がノホホンとしているのは、大手メディアが中国や北朝鮮、そして中東などの実態を詳しく報道しないからだ。報道するほど材料を持っていない面もあるが、危機意識そのものが希薄なのだ。その背景には「何があっても米国が守ってくれる」「日本は軍事的には動かない方がいい」という奇妙な安心感、依頼心がある。

「今そこにある危機」を正確に知らせるには政府がもっと情報を的確に流す必要もある。中国の巡視船の尖閣侵入や南シナ海での軍事基地の増強などを政府広報で文章や動画で報知し、危機を喚起する。
するとすぐに「危機をあおってはいけない」などという向きが出てくるが、正確な情報を流すのが、なぜ危機をあおることになるのか。

情報の提示と同時に、「日本は自分で守る」という教育を広く普及させる必要があるだろう。具体的には、学校などで自衛隊が現に利用している銃を使用できる訓練を一定期間(3ヶ月~6ヶ月)施すのだ。

応募者に自由にその機会を提供する予算をつける。国公立大学の学生に対しては一定の訓練を修得しなければ、卒業できないようにする方法もある。

これにより、イザという時、自分たちで自分たちを守る習慣が国民各層に広げるのだ。自動車運転できる国民をふやすのと同じである。銃だけでなく、防弾チョッキの着用法、匍匐前進の方法、森林地帯や街路での銃撃戦の行い方などを学ぶ場を用意してもいい。

日常生活では銃刀を所持させないことが殺傷事件を減らすのに欠かせない。しかし、スイスでやっているように、イザ国難というときに銃刀を操作する方法を身につけさせることは、自国防衛の基本だろう。「戦(いくさ)はお侍様(米軍や自衛隊)のすること」として、我関せずでは、やはり困るのだ。