澤昭裕
国際環境経済研究所所長 21世紀政策研究所・研究主幹
(IEEI版)
(GEPR編集部より)澤昭裕氏が1月16日に亡くなりにました。GEPR・アゴラに、数多くの適切な論考を寄稿いただきました。エネルギーと環境問題をめぐる澤氏の適切な主張が、今こそ必要でした。ご冥福を祈り申し上げます。
(以下本文)
エネルギーの安定供給が思考の原点
これまでこのブログも含めて、さまざまな場で日本のエネルギー政策に対して私見を述べ続けてきた。積み重ねてきた提言すべてを読んでいただければ、筆者が描いていた一筋の細い道をご理解いただけるかもしれないが、それも難しいであろう。そのためここで改めて、筆者がどのような視点でその時々のテーマを選定し、提言を行ってきたかについて、全体像を整理してお伝えしたいと思う。
筆者のエネルギー政策への思考回路の原点にあるのは、エネルギー安定供給の重要性である。筆者が通商産業省に入省したのが1981年。第二次オイルショックの余波冷めやらぬ頃であり、国のすみずみまで必要十分なエネルギーを供給することは、政府が果たさなければならない重要な国民に対する責務であることを叩き込まれたのである。
当時は石油依存度を低減させるため「脱石油・脱中東」がキーワードとされ、LNG火力や原子力などが積極的に推進されていた。再生可能エネルギーや省エネの研究開発にも、この当時から巨額の国費が費やされていたのである。
その後、1990年代に入ると地球温暖化問題がクローズアップされ、わが国がホストしたCOP3において京都議定書が採択された。京都議定書の採択、そしてわが国の批准の過程を見るに、環境保護の重要性を道義的な視点から説く偏った議論に覆われていることに危機感を抱いた。
現実主義的政治の本質を踏まえず、技術の観点が抜け落ちた枠組みでは、地球温暖化問題の真の解決は望めない。あるべき枠組みを提言しようと、多様な著者の協力を得て「地球温暖化問題の再検証」をまとめるに至った。ここで提唱したプレッジ&レビュー方式に基礎を置くパリ合意が、2015年12月のCOP21においてまとまったことは、筆者にとっては感慨ひとしおであった。
「エコ」に傾く世論への懸念
なお、プレッジ&レビュー(誓約と審査)方式の国際枠組みを前提としたときに、わが国の国内対策をどう構築すべきかについては、昨夏、有馬・手塚・竹内3名の主席研究員と共にまとめた「緊急提言–COP21 国際交渉・国内対策はどうあるべきか」に詳しい。COP21を終え、議論は既に今後我が国がどういった対策をとるかに移っている。ぜひ今後の議論の参照にしていただきたい。
京都議定書の批准・発効を経て温暖化問題への注目度は高まっていき、それに呼応して当時の日本のエネルギー政策は、3Eのなかの「環境性」に軸足が偏りすぎていた。それに警鐘を鳴らしたのが、「エコ亡国論」(新潮新書)である。COP15が惨憺たる結果に終わったことを受けて(何がひどいと言ってデンマーク政府のロジスティクスのひどさは今でも忘れがたい)著した本であり、温暖化国際交渉の本質論、そして、「エコ」という美しい理念で政策を語ることの危うさを指摘した点において、今でも十分に読者の皆様の参考にしていただけると思っている。
原子力損害賠償制度の見直しに向けて
そして2011年3月に起きた福島原子力発電所事故によって、我が国のエネルギー政策は根底から覆された。政府が設定した避難指示区域等からの避難者数が、事故後2年経過した2013年3月時点でも10万人を超すなど(注1・「環境白書 平成25年版」)未曽有の原子力災害を目の当たりにし、筆者がまず問題意識を持ったのは原子力損害賠償法であった。
わが国の原子力損害賠償法の最大の問題点は、民間事業者たる電力会社に無限責任を課していることであろう。無限の賠償責任を果たしうる主体などあるはずがない。政府及び国会の「良識」に運用が委ねられ、事業者に政府の支援に対する「暗黙の期待」を抱かせる構造となっていたのである。
無限責任を課すことで被害者保護に厚いようでいて、大きな事故が発生すれば経営基盤が根本から損なわれてしまいかねない民間の事業者のみが賠償責任主体である構造は、実は不十分なのではないか。事業者が政府の支援に「暗黙の期待」を抱くような構造は、政策決定や安全規制など原子力事業に関するあらゆる場面で感じる責任者不在、あるいは馴れ合いと言われる文化の産物ではないか、という問題意識がわいた。
さらに、地域コミュニティの破壊という特殊な被害をもたらす原子力災害は、事業者による個々の被害者に対する補償では回復しえない。また、限定できないリスクを負う事業に投資が起きることはあり得ない。被害者救済のあり方および原子力事業の維持という、両方の観点から賠償法の見直しは避けて通れないと認識したのである。
我が国が、原子力事業に関わるリスク分担について正面から議論せずにその技術を利用してきてしまったことの象徴とも言える、原子力損害賠償法の見直しを提言すべく、21世紀政策研究所において「原子力事業体制・原賠法検討委員会」を組織し、森嶌昭夫名古屋大学名誉教授を主査に、当研究所の主席研究員も務める竹内純子氏に副主査をお願いし、「新たな原子力損害賠償制度の構築に向けて」(注2・21世紀政策研究所サイトを取りまとめたのである。
なお、賠償だけでなく、除染や広域復興のあり方も含めて、震災から5年経とうとする今、福島の復興に向けて最も重要なのはタブーを恐れず政策の見直しを議論すべきことではないか。この問題意識は「福島復興のタブーに挑む」(ウェッジ、その1、その2、その3)としてまとめたので、ぜひご一読いただきたい。
賠償制度に対する問題意識が深まる中で、同時に、原子力事業の環境・体制整備の必要性を強く認識するに至った。
日本の原子力事業の問題
原子力事業(発電事業及びバックエンド事業)を巡る環境は、福島原子力事故によって大きく変化した。あるいはその変化の一部は事故前から既に進んでいたが、それが事故によって一気に顕在化したとも言えるであろう。
第一に政治的なサポートが失われたこと。原子力発電導入時は「国策民営」であったが、時代を下るにつれて商用のものがほとんどとなり、純粋な民営に近くなっていた。そのため、政治的サポートをあまり必要としなくなっていたとも言えるが、オイルショックの記憶の風化や複数のトラブルなどが相まって、原子力事業に対する世論および政治的サポートは徐々に失われていった。それが福島原子力事故により、規制者も事業者も国民の信頼を完全に失い、原子力事業に反対する世論が長期化・定着化してしまった。原子力事業に対する政治的サポートは大きく損なわれてしまったのである。
第二に電力システム改革の進展があげられる。法的分離と総括原価方式による料金規制の変更は、投資回収リスクを高めることとなる。さらに、一般担保の廃止も加わり、新規投資に必要な資金調達が困難になる。原子力に係るファイナンス・リスクを限定するためには、公的な支援策も含めた検討が必要になるため、電力システム改革議論と一体となって原子力事業環境整備のための施策を議論しなければならない。
第三に、安全規制の変化がある。いわゆるバックフィット制度は、設置許可を得た当初とは異なるルールや基準が事後的に適用されるものであり、それまでの投資が無に帰すことが懸念されるケースも生じる。事業者にとっては安全規制の変更は大きなリスク要因である。
(下)に続く。
(IEEI掲載は1月4日)