ダボス会議の醍醐味は、世界各国の政財界トップの話を生で聞けることにあるが、参加者との出会いも、そのひとつである。
ダボスは、スイス最大の都市であるチューリッヒから列車で約2時間半、それも2回の乗り継ぎを経てようやく辿りつける、まさに山奥のスキーリゾートだが、この列車の旅こそが最初の出会いの場である。
僕が所属しているヤング・グローバル・リーダー(YGL)の仲間は、全員が事務局の指定したチャットアプリに登録されており、チューリッヒに到着する前から「ニューヨークから○時に到着する」「○時の列車に乗る予定」など、さまざまなメッセージがアプリに投稿されていく。
ダボス行きの列車で熱く語り合う
同じくらいの時間にチューリッヒに到着する仲間をアプリで見つけ、早速メッセージのやりとりを始めると、試行錯誤しながらも、列車のホームでなんとか初対面。出会ったのは、全米最大のケーブルテレビ会社で戦略担当役員を務めるインド生まれのDeveshと、ベルギーで起業し、会社が百億円規模の資金調達を実施した際にアメリカに渡ったスーパーエンジニアのDriesだ。
二人と挨拶を交わすと、Deveshの背後から小柄なインド人女性が現れた。「ダボスを一番楽しみにしていたのは、実は妻なんだ」とDeveshの表情がゆるむ。年一回のYGL年次総会には、配偶者を同伴させる参加者が多い。配偶者も基本的に僕たちと同じプログラムに参加でき、家族の一員のように、みんなと触れ合う。どうやら、ダボスで開催される本会議も同じ仕組みのようだ。大手飲料系企業のマーケティング職として働くバリキャリな彼女に今の気持ちを聞くと、旦那さんにウィンクしながら「いつかダボスに参加できると思って、彼に賭けたのよ!」と茶目っ気たっぷりに答えてくれ、4人で大爆笑。乗客全員がこちらを振り向くほど、その場がドッと沸いた。
その後は、それぞれが自己紹介をして、今やっていることについて話した。そして何よりも、これまでの人生について熱く語り合い、道草の多いお互いの人生に共感し合った。日本、インド、ベルギー。僕たちは、全く違う国で生まれ、何らかの形でアメリカに関わり、それぞれの分野でそれぞれの道に挑戦している。「これからの世の中は、驚くほどもっと一つに融合されていく。この旅で、その本質に触れてみたい」。Driesの一言は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
僕たち4人が談笑を続けていると、その賑やかさに釣られるように、ジャマイカのNPO運営者やケニアのネットベンチャー経営者など、一人また一人と席を移動し会話に加わってきた。熱気に包まれた車両で新たな出会いにエキサイトしていたが、ふと車窓に目を向けると、いつの間にか視界から建物が消え、まるで「世界の車窓から」を見ているかのような、圧倒的な自然の美しさが目の前に広がっていた。話題の濃密さからか、もしくはもうすぐダボスに到着するという興奮からか、2時間半の列車の旅はこれまでにないくらい短く感じられた。
3カ国から来た初対面同士で濃密な共同生活
ダボス・ドルフ駅に到着すると、あたり一面雪のなか、スーツケースを引っ張り宿泊先に向かった。実は、前々から参加が決まっている世界のVIPは、何か月も前からダボス市内のホテルを予約していて、市内のホテルは全て満室のため、昨年11月に参加の通知を受け取った僕には、選択肢が2つしかなかった。ダボスからシャトルバスで40分離れた隣町・クロスタースのホテルに一人で泊まるか、本会議期間中にダボスの住民が貸し出している市内のアパートに民泊するか。
ここでもYGLのチャットアプリが大活躍する。本会議が近づくにつれ、アプリ内で「うちのアパートでキャンセルが出たのでベッドが1つ余っている」というようなメッセージをチラホラ見かけるようになる。そんななか、僕はアルゼンチン人起業家Rodrigoと出会い、彼から「コングレス・センターから徒歩5分のところで、ベッドルームが2つある小さなアパートを一部屋確保したが、自分の部屋にはベッドが2つあるのでよかったらルームシェアしないか」との提案を受けた。ちなみに、もう一つのベッドルームは、スロバキア人投資家が夫婦で利用するとのこと。そんなこんなで、1週間にわたる初対面同士の共同生活が始まった。
2つ年下のRodrigoは、アルゼンチンの大学に在学していたときにインターネットに魅了され、大学を中退してネットベンチャーを立ち上げたが、2000年前後のITバブルの煽りを受け、あえなく廃業。父親に頭を下げ、学費以外は自分で工面するという約束のもと、アメリカの大学に入り直し、お小遣い稼ぎのつもりで再度ネットビジネスを始めた。
アルゼンチンに残した彼女に電話する際、(大学生にとっては)莫大な料金がかかることに気づいた彼は、普通の電話回線と国際電話のプリペイドカードの料金の差異に目を付け、南米とアメリカをつなぐ安価な電話サービスの立ち上げに成功。大学卒業後、さらなる高みを目指し、アルゼンチンで南米に特化したソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を立ち上げる。一時は半年で1,000万人が会員登録するほど一世を風靡、ソーシャルブームに乗り、ダボス会議にも招待されたが、リーマン・ショックとFacebook台頭の波に飲まれ、再度撃沈。
その後、現在手がけている、携帯電話を活用した決済プラットホーム事業で6年前に起業。その急成長と活躍がYGL事務局に認められた。「またダボスに戻ってきたぜ! 今度こそ、南米から世界に挑戦するぜ!」とベッドの上を飛び跳ねながら意気揚々と語る、まさに「ラテン系」という言葉がピッタリな明るい男である。
もう一人のルームメイト、スロバキア人のMartinは、大学はスタンフォード、大学院はハーバード、エグゼクティブ・プログラムはオックスフォードとフランスのインシアードという生粋の元エリート官僚で、スロバキア政府や国連機関等で活躍した後に、最先端技術を活用したベンチャーへの投資事業を営んでいる。
僕がソファに座っているのを見つけるやいなや、「ちょっとこれ、見てくれよー」と狭いソファに飛び乗ってきて、「空飛ぶ自動車を作っているんだ。プロトタイプの実験もうまくいっているんだぜ」とまるで子どもがおもちゃを自慢するかのような生き生きとした目で、動画を見せてくれた。「技術で世界を変えるんだ! 俺たちは絶対世界を変えるんだ!」と連呼する彼の目は、まるで未来と恋をしているようだった。
Martinが見せてくれた空飛ぶ自動車の動画はこれだ。
朝早く出かけて夜遅くに帰宅するので、アパートに滞在する時間は短かったけれど、彼らと過ごした時間は濃密であった。夢を語り、未来を語り合ったひとときは、これから一生続く友情の証だ。
人生には何が重要で、何を目指すべきなのか?
本会議でも、著名人を含め、多くの出会いがあった。共有スペースの隣でお茶を飲んでいる参加者と話し始めることもあれば、会場を移動する際のシャトルバス内で会話を交わすことも。胸につけた参加バッジが信用を担保しているのか、ごく自然と会話が始まっていく。また、メイン会場であるコングレス・センターには、秘書やお付きの人は入れないため、参加者全員がノーガードの一個人として参加しており、みんながそれぞれに話しかけ、議論し合う光景が見られる。これこそが、ダボス会議の真の姿であり、最大の目的なのではないかと感じた。
素で対話をする。素で語り合う。これらは、日々の忙しい日常において、生活からなくなっていたものかもしれない。「人生には何が重要で、何を目指すべきなのか? 年に一度、みんな頭と心のマッサージにやってくるんだよ、ここダボスに」。ダボスに10年以上通い続けているジャーナリストがこう教えてくれた。
自分自身、世界のトップレベルの方々のびっくりするような壮大なビジョンを聞き、日常生活では話さないような議題について語り合うことで、自分の「小ささ」を痛感できた。ただ、それが今回の一番の収穫だったと思う。なぜなら、大きなモノサシで自分を測れたからこそ、自分に足りないことやできないことを正しく把握でき、まだ自分にも大きな伸びしろがあることに気づけたのだから。
<連載これまでの記事>
(1)マイナス11度の「ダボス」が世界一熱い場所に
https://agora-web.jp/archives/1667257.html
(2)ダボス会議は社会人のワールドカップ
https://agora-web.jp/archives/1667815.html
編集部より;この記事は、株式会社ビズリーチ運営の「みんなのスタンバイ」に掲載された南壮一郎社長のダボス会議体験レポートの連載、2016年1月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、こちら へ。