私の日常 ~リハビリ+こぼれ話~ --- 恩田 聖敬

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私は現在3つのリハビリを受けています。

①肢体リハビリー手足や首の筋力維持・可動域確保を目的とする
②呼吸器リハビリー肺や横隔膜の機能維持を目的とする
③嚥下リハビリー舌や口や喉の筋力維持し、言語・食事の継続を目的とする

今日はその中で肢体リハビリについて紹介します。

リハビリ担当は『じゅんさん』。実はこの方、FC岐阜のチーフトレーナーです。
じゅんさんとじゅんさんが勤める整形外科の院長は、私がFC岐阜の社長になるはるか前から、チームを支えてくれている方々です。
そして、家族以外で最も早く私のALS発症を知った方々でもあります。

岐阜にきて間もなく、右手の違和感を院長に診せたところ、整形的な原因では無いから、ちゃんとした検査を受けるべきといわれました。
その言葉に従い、2014年5月に精密検査を受け、ALSと診断されました。
ALSは診断が難しく、病院をたらい回しにされるケースが多いと聞きます。
早期診断は不幸中の幸いでした。院長のおかげです。

検査結果をお二方に伝えないわけにはいかないので、
正直にALSだと伝えました。同時に、社長就任1カ月で難病発症となれば会社やチームに迷惑をかけるから、黙っていて欲しいとお願いしました。
お二方は私の願いを聞き入れ、一切口外しませんでした。

ここからALSを世間に公表する2015年1月まで、私とじゅんさんの秘密のリハビリが続くのでした。基本、週2回、人目を忍んでリハビリを行いました。選手とニアミスしそうなこともありましたが、逃げ切りました(笑)私の社長業を優先し、時間もかなり融通をきかせてもらいました。

最初は右手だけの症状が、腕へ進み、左手、足へと進行は止まりませんでしたが、進行に合わせて、じゅんさんはリハビリメニューを組み直し、毎回1時間以上ケアをしてくれました。マッサージ、ストレッチ、温める、メニューは様々です。時々、痛すぎて笑うしかないこともあります。(笑)固まっている筋肉をほぐすのはなかなか大変です。

ALSを公表してからも、FC岐阜の社長退任後も、全く同じスタンスでリハビリを続けてもらっています。

いつも親身に話を聞いてくれる院長。
『大丈夫です!』が口癖のじゅんさん。

医療者に必要なのは、患者への安心感だと本当に思います。
私は人に恵まれています。

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恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978年(昭和53年)岐阜県生まれ。京都大学大学院卒業後、2004年複合レジャー施設「JJ CLUB 100」を運営するネクストジャパンに入社。2009年には取締役就任。その後グループ会社であるアドアーズの常務取締役として全国のゲームセンター店舗を回り、希望退職を実施し、大規模な改革を行う。親会社のJトラストでM&A等を担当した後、14年4月に岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任。サービス業の経験と、会社管理の経験をフルに活かし、サッカービジネスにエンターテイメントの要素を導入も、社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。病を公表後も社長業を続投したが、15年11月末の公式リーグ最終戦を以って病の進行により、止む無く社長を辞任。


この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年1月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。