外から見る日本の社会人

ここバンクーバーに来る日本人の若者の質がこの数年、下がってきています。粘りがなく、食いつきも悪いのです。すぐに辞めたり、履歴書の職歴は転職を延々と繰り返していたりする人が感覚的ではありますが多くなってきています。何故だろう、と考えていたのですが、一つに海外に出る日本人が減って人材不足に陥っている気がします。

その最大の理由は日本での人材不足、そして就職状況が良いこと、また、若干ではあるものの賃金や給与も上昇気味で一昔前の「新たなる人生を模索して海外にでてみる」人は明らかに減っているからでしょうか?

では日本で雇われている人たちは幸せなのか、仕事にやりがいをもって日々創意工夫を重ねているか、といえば「創意工夫はしないで会社が決めた通りにやってくれ」と言われるはずです。コンプライアンスに世間の目、何かトラブルがあればすぐにメディアが取り上げる状況の中、粛々と目立たず仕事をこなしていくというのが多くのサラリーマンの生き方となっています。

仕事はやりがいではなくて生活の糧、となってしまえば、お勤めを仮に22歳から65歳まで43年間するとすれば年間2000時間就労として86000時間も生活の糧の為に上司から文句を言われ、顧客からクレームを受け、自分の色を出せず、ストレスを溜めながらグッと我慢するのでしょうか?何か、間尺に合わない気がしませんか?

私は独立する時、最大の懸念は屏風を失うことでした。サラリーマン社長の時はそれでも本社や組織があり、銀行があり、株主がいました。これはいざ、自分が失敗しても誰かがそのフォローをしてくれるかもしれないし、自分の代替もすぐに補てんできるという安心感でありました。今、零細企業の経営を12年やっていて思うことは病気一つできない、全ての仕事のつまづきは全部自分のところに跳ね返ってくる、経営から雑務まで目を行き届かせなくてはいけない、そしてすべての責任は自分にある、ということであります。

病は気から、と言いますが、おかげさまで病気らしいものはせず、むしろ健康管理に留意するようになりました。しかし、仕事はいつも順風満帆とはいきません。常に5-6件の「頭の痛い案件」を持っています。それらを潰しながらまた、今日も新たに問題が発生する、というイタチゴッコを繰り返しているわけです。それでも会社への愚痴ではなく、今日も一日頑張ったな、という褒美の缶ビールを手にし、他の人にはわからない達成感を日々感じているわけです。

日本人は元来、アイディアマンであります。それこそ、創意工夫から改善、改良など次々と面白いものを生み出す能力を持っています。先日、クックパッドの話をしましたが、料理のレシピでもよくこれだけ工夫が出来るな、というのは主婦の日々の作業から生まれたアイディアなのでしょう。

1月に日本に滞在していた際、たまたまですが、色々な100均に行くチャンスがありました。改めてよくもこれだけのアイディア商品を100円で売り出すものだと感心してしまいました。それは100均が凄いのではなく、100均にモノを卸している会社の努力であります。とすれば、100均にある何千ものアイテムは日本人の創意工夫で成り立っているとも言えるのです。

ならば、起業して面白い商品を生み出そう、という若者がもっといてもよいはずです。が、実際にはどんどん少なくなっている気がします。会社が個性を出させず、機械の様に使うことを望んでいるからでしょう。これでは日本人の持てる能力を発揮するところが無くなってしまいます。

日経ビジネスにシャープが産業革新機構になびく理由として「今度はお国が守ってくれる」からと指摘しています。勿論、それが表向きの理由ではないのでしょうが、社会の根底に誰かに守られたいという気持ちが常に付きまとっているのでしょう。「うちの会社、なんか大変みたいだね」というシャープ社員の他人事発言は正にその体質を表していると思います。

ぬるま湯のニッポン、これが私の見る姿です。就活の相談をたまに受けますが、私は「中小企業に入って会社がどうやって稼ぐのか、その一連の流れを掴むべき」と勧めています。会社は自慢する為に入るのではない、名刺を友達に配るために選択するのではないことに気が付いてもらいたいと思います。

では今日はこのあたりで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 2月3日付より