育休議論が幕引きした件

私たちの日常やビジネスにおいて議論を戦わせることはもはや避けることはできません。昨年来、育休議論は様々な議論を戦わせてきましたが、これで一旦に幕引きになったとみても良いでしょう。

昨年12/28の新田編集長のエントリー『宮崎議員が留意すべき「広報の罠」』では『根回しをしていないか、していたとしても、この手の発言が出るのは、十分な意思疎通を図っているようにはとても見えません。「見切り発車」してしまったのではないでしょうか。』と指摘している通り、発言の拙速感は否めませんでした。

私も、昨年12/25に「国会議員の育休は職務放棄では?」のなかで「今回の行動で理解が拡がらなければ、民間への育休普及の妨げになりかねません。事前にコンセンサスをとるなど、慎重な対応が必要だったように思います。」と述べました。政治では、事前の根回しが必須だからです。

●多くの賛同者のメンツを潰してしまった

安倍政権は一億総活躍社会を掲げ、男性も育児に参加することで、女性も活躍する社会を目指していました。宮崎議員は「二つを両立させるためには、男性が育児参加をしなければならないのは明らか。そのために効果があるのは育児休業の取得。」述べ、自らが育児休暇を取得しようとした背景を説明しました。

国会議員が育休を取得することの反対意見の多くは、歳費を問題視するものが多かったように思います。宮崎議員は歳費の返納を公言しましたが、歳費の返納は寄付行為であるため違反行為になります。前向きに議論が活性化し、よい制度が構築できることを期待したものの、今回の一件でその可能性は終焉したといっても過言ではありません。

もっとも憂慮すべきは、育休議論を後押しをしていた賛同者のメンツを潰したことでしょう。しかも、文春の記事を読む限り、自宅に連れこんでいたとありますから性質が悪いように思います。

政治でスキャンダルが発生すると必ず出てくる「出処進退」という言葉があります。これは永田町独特な言い回しです。幕末~明治時代に活躍した、福沢諭吉は「瘠我慢の説」を1901年に出版します。付録として勝海舟と榎本武揚に送った書簡と返事が掲載されています。

このときの勝海舟の返事が「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」でした。意味は「行蔵(出処と進退)は自分で考えることです。一方、毀誉(悪口と称賛)は他人がするものです。どのように評価されようがそんなことは自分にとっては預かり知らないことです」。「行蔵(出処進退)は我に存す」には深い意味があります。

●どのような会見が望ましいのか

これは、文春がどのような情報をつかんでいるかにもよりますが、最初の会見では、事実は無かったと回答することがベストだと思われます。世間がヒートアップしているので、いまの時点で認めてしまうと、あげ足をとられたり相応の影響があるからです。

宮崎議員の行為を不貞行為と評しているメディアもありますが、不貞行為を立証するには、継続的な行為を立証しなければいけません。裁判などで、不貞行為を理由に離婚請求する場合には、請求する側が「行為を確認ないし推認できる証拠」を立証する必要性があります。

文春の立証が困難であることや、時間的猶予を鑑み、明日はその事実は無かったと会見することが得策でしょう。時間稼ぎをしながら、あとから文春と交渉すれば良いのです。深く反省している点を述べて、健全な夫婦関係、家族関係を希望していることや、奥様への感謝。従来どおり、国家や国民のために議員活動を遂行する覚悟を述べれば良いでしょう。

しかし今回のケースでは、最も辛い立場なのは奥様です。お子さんも生まれたばかりですから、それらの状況を踏まえたうえでそっとしておくのが人の道ではないでしょうか。育休議論の支援者も一旦は、主張を控えるなどの配慮が必要でしょう。

尾藤克之
経営コンサルタント