宮崎謙介衆院議員=京都3区=が週刊誌で報じられた不倫疑惑を認め、議員辞職を表明しました。これまでも多くの国会議員が不倫騒動を巻き起こしてきましたが、議員辞職まで至るのは極めて珍しいケース。中には騒動を機に名前を売り、次の選挙で得票数を伸ばした議員もいます。
“モナ男”細野議員はスキャンダルで議席を増やした?!
不倫騒動を起こした国会議員として最も有名なのは民主党の細野豪志政調会長でしょう。2006年10月、写真週刊誌に元アナウンサーである山本モナ氏との不倫旅行をスクープされ、京都市内の路上で撮られた「路上キス」写真が大きな話題となりました。
細野氏は当時、まだ当選3回で売り出し中の若手議員。テレビに引っ張りだこだった著名キャスターとの不倫で世間に名を知らしめました。家族は激怒し、永田町では「モナ男」(もなお)という不名誉なあだ名をつけられましたが、この騒動がなければ大臣や幹事長などの要職を務めることもなかったかもしれません。
細野氏は不倫騒動を機に票数を伸ばした珍しい議員です。騒動直前の2005年衆院選では静岡5区での得票数が14万8000票でしたが、直後の2009年衆院選では18万4000票。なんと不倫騒動の前後で約25%も得票数を増やしたのです。
2009年はいわゆる「政権交代」選挙であり、民主党に追い風が吹いたことも味方しました。しかし、騒動で主婦層などが離れたことを考えると、民主党への追い風だけでは説明がつきません。知名度を上げたことで男性や若者の票をキャッチしたとみられるのです。
水野真紀さんの夫、後藤田正純議員は党に助けられた?!
不倫騒動で次に思いつくのは自民党の後藤田正純氏でしょうか。大叔父は昭和の名官房長官といわれた後藤田正晴氏、奥さんは女優の水野真紀さんです。後藤田氏は美しい妻がいながら、週刊誌に銀座のクラブのホステスと抱き合い、キスした挙句に議員宿舎に連れ込む写真を撮られました。
騒動が起きたのは2011年。直近の2009年衆院選では徳島3区で8万1000票を得ていましたが、騒動直後の2012年衆院選では7万票に減らしています。細野氏と同じく2012年は自民党に追い風が吹いた選挙でしたが、それでも票数を14%減らしたのです。
裏を返せば、党への追い風がなければ当選も危うかったということ。2009年の衆院選ではかろうじて小選挙区を勝ち抜いたものの、2位の民主党候補との差はわずか1000票あまり。騒動直後は「政治家生命が終わった」ともささやかれましたが、大叔父以来の地盤に加え、民主党の大失速という運も味方につけて政治家生命をつなぎました。
スキャンダル後に得票数をわずかに伸ばした鴻池議員
同じ自民党では、私が政治部記者をしていたころに起きた鴻池祥肇参院議員の不倫騒動を思い出します。鴻池氏は麻生内閣で官房副長官を務めていた2009年、週刊誌によって立て続けに同じ女性とのダブル不倫疑惑を報じられました。
鴻池氏の場合は不倫だけでなく、旅行の際に議員パスを使ったり、議員宿舎のカードキーを女性に持たせたりしていた疑惑も報じられました。しかし、元々失言癖があり、さわやかさで売っていた議員でもないので、選挙へのダメージはあまりなかったようです。
鴻池祥肇 騒動直前の2007年参院選では兵庫選挙区で86万票を得ていましたが、騒動後の2013年参院選では86万8000票でした。票数はわずかに伸ばしただけですが、順位は2位から1位に上がりました。候補者が乱立する中でしっかりと自分の票を確保したとみられます。
4分の1まで得票数を減らした田中美絵子元議員
一方の民主党で思い出すのは田中美絵子元衆議院議員です。いわゆる「小沢ガールズ」として2009年の衆院選で森喜郎元首相が地盤とする石川2区から立候補し、比例復活で初当選。2012年6月、週刊誌に国交省のキャリア官僚との路上キス写真が掲載されました。田中氏は独身でしたが、官僚側が55歳の妻子持ち。年齢差も話題となりました。
同年12月の衆院選では東京15区に国替えして立候補しましたが、結果は2万9000票。単純比較はできませんが、前回の選挙より得票数を4分の1に減らしました。次の2014年衆院選では再び石川1区に国替えしましたが、得票数は5万9000票あまり。最近では民主党の現職議員と婚約しましたが、結局破談となりました。
不倫騒動よりも党の後押し
過去の不倫騒動を振り返ってみてはっきりするのは、不倫騒動と選挙の結果は必ずしも結びつかないということです。特に衆院選は1つの選挙区で1人しか当選できない小選挙区制。自分の支持する政党の候補は1人しかいないから、不倫していようと、誠実であろうと、党に追い風が吹けば当選するし、逆風ならば落選してしまうのです。
ではなぜ、宮崎議員は辞職の道を選んだのか。1つは妻が臨月のさなかに女性を家に連れ込むというあまりにも醜い行為だったということ、もう1つは党内調整なしに育児休暇の取得を発表するというパフォーマンスに対し、党内で反発が広がっていたからです。
自民党は国会議員だけで400人を超える大組織ですが、宮崎氏は党内への説明もほとんどないまま育休を取るとマスコミに発表。一部の女性支援団体等から評価の声があがると、すかさず衆院議長のところに出向き、育休の規定を設けるよう申し入れました。
こうした行動に、当初から党内では「本当の目的は育児の支援ではなく、自分の知名度を上げるため」との批判が渦巻いていました。週刊誌が発売されるやいなや「あいつはもうダメだ。京都は補選だ」(自民党幹部)という声が身内から上がっていたのです。
結局、宮崎氏が政治生命を絶たれたのは不倫スキャンダルそのものではなく、政治家としての立ち振る舞い。もしも党内外で謙虚に振舞っていれば、不倫騒動を起こしても細野氏のような大逆転があったかもしれません。
山本洋一:元日本経済新聞記者
1978年名古屋市出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。政治部、経済部の記者として首相官邸や自民党、外務省、日銀、金融機関などを取材した。2012年に退職し、衆議院議員公設秘書を経て会社役員。地方議会ニュース解説委員なども務める。
ブログ:http://ameblo.jp/yzyoichi/
編集部より:この記事は、選挙ドットコム 2016年2月14日の記事『こんな状態で、それでも選挙やりますか?誰にでもわかる「一票の格差」徹底解説』を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は選挙ドットコムをご覧ください。