握力5キロ以下の世界、想像出来ますか?--- 恩田 聖敬

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握力5キロ以下の世界を想像出来ますか?

ALSの発症から進行するにつれ、私の手に何が起きて行ったか書こうと思います。

例:車の運転
右手の握力低下により、鍵が回せなくなり左手で回す。左手の握力もなくなると、サイドブレーキがおろせず、四苦八苦しながら、両手で10分以上かけておろすこともしばしば。

例:お昼ごはん
基本、近くのコンビニで買うのだが、財布から小銭を取り出せなくなり、支払いは電子マネーに移行。箸やフォークを使えなくなり、ひねって封を切る事も出来ないため、引っぱって開けられるおにぎりとサンドイッチのローテになる。

例:銭湯
私は銭湯が大好きだが、進行に伴いロッカーの鍵を回せなくなる。風呂上がりの身体に靴下を履いたりする力がない。水分補給しようにも、缶もペットボトルも開けられる握力がない。

例:乾杯
空のグラスでも片手で持つのはかなりしんどい。ビールが入れば、両手で持ってもプルプル震える始末。こんな若僧がビールの栓も抜かないのは、さぞマナー知らずに見えただろうとと思う。

例:ハンコ
仕事の中でハンコを押す機会は何度もあったが、本当に骨が折れた。普通に押すと朱肉が全くうつらず、力を入れると滑ってハンコが横に倒れてしまう。何とも難儀。

このようにALSの診断から、公表するまでの間、悶々としていました。昨日出来たことが今日出来るとは限らない。それがALSです。

しかし、それを仕事の言い訳にする訳には行きません。騙し騙しやってましたが、粗相につながる可能性があまりに多くなり、公表する事にします。公表して、気持ち的にはかなり楽になりました。

公表から約1年。たとえ5キロでもいいから、握力が戻って欲しいです。

恩田聖敬

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恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978年(昭和53年)岐阜県生まれ。京都大学大学院卒業後、2004年複合レジャー施設「JJ CLUB 100」を運営するネクストジャパンに入社。2009年には取締役就任。その後グループ会社であるアドアーズの常務取締役として全国のゲームセンター店舗を回り、希望退職を実施し、大規模な改革を行う。親会社のJトラストでM&A等を担当した後、14年4月に岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任。サービス業の経験と、会社管理の経験をフルに活かし、サッカービジネスにエンターテイメントの要素を導入も、社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。病を公表後も社長業を続投したが、15年11月末の公式リーグ最終戦を以って病の進行により、止む無く社長を辞任。


この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年2月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。