「同一労働・同一賃金」という夢と華と錯覚

new_177771

最近、「同一労働・同一賃金」の議論が熱を帯びている。非正社員の賃金を引き上げて公平な制度を施行することが、一億総活躍社会の実現であり労働市場の改善につながるということなのだろうか。

しかし、私はこれまでも「同一労働・同一賃金」の実現は困難であることを述べている。非正社員、正社員の環境を同一のものとして論じることはできないからだ。

●実現が難しい根本的理由

非正社員の賃金アップを主張する意見は以下のようなものが多い。
1.非正社員、正社員という立場の違いで賃金に差がつくことは不公平。
2.立場や年齢ではなく仕事に対価をつけなければ公平とはいえない。
3.非正社員、正社員双方にとっていまの制度は好ましくない。また労働市場の活性化を促すためにも「同一労働・同一賃金」は必要である。

ところが、これらの意見には根本的な間違いがある。まず、正社員は期間の定めのない雇用契約である。そして、役割、ポスト、年功に対して賃金が支払われている点である。期間の定めのない雇用契約だから、長くお勤めをしていればリターンを得られるという考えが前提として存在する。

一方、非正社員には期間が定められている。そして、職務(受け持った仕事)に対して賃金が支払われる。レジ打ちであれば主婦も学生も同じ時給である。定めた期間のなかで働いた分の賃金を支払うという仕組みだ(あくまでもケースとしてレジ打ちという表現を使用した)。

そもそも意味合いがまったく異なるから、この2つの基準を同一化することには無理がある。正社員で年収600万円の課長がいたとしよう。しかし受け持った仕事に対して賃金が支払われているわけではない。

つまり、「同一労働・同一賃金」の議論は、職能給における、役割、ポスト、年功に関連する部分を廃止しなければ成立しないのである。しかし、これらを廃止することは難しい。また、一方で年功部分を廃止して解雇規制緩和の議論が熱を帯びているが、その解釈は少々乱暴ともいえる。

●過去の変遷を検証し考える

かつてブームとなった成果主義は、いまでは失敗だったといわれている。失敗した原因を検証すると今回の「同一労働・同一賃金」の議論にあるような、異なった論点を無理に一致させようとした根幹にいきつく。

成果主義を経営者の立場で考えてみよう。経営者側の考えで成果主義を解釈すれば「成果が上がらなければ賃金が下がる」ことになる。社員側の立場であれば「成果を出したものはより高い処遇をされる」ことになる。経営者側は総人件費圧縮という目的のなか賃金が下がることを示唆している。一方、社員側は、頑張れば報われるという解釈をして、賃金はむしろ上がることを期待している。双方の意識の乖離が大きいのである。

まず、賃金の決定権は経営者側にある。労組の賃上げ要求があっても大枠を決定するのは経営者側である。総人件費圧縮が目的であるため、社員の賃金が上がるための基準は、社員の想定より高くなる。誰もが達成可能な基準では総人件費圧縮にならないからである。

次に、マルチタスクの問題が生じる。正社員は原則として複数の業務をこなしているマルチタスクである。よって、先ほどレジ打ちのケースであげたような、職務(受け持った仕事)に対して賃金が支払われるという線引きが困難である。仕事の線引きの要因を決定することが難しいのである。

成果主義では、成果の見えやすい仕事に傾倒することによって、成果の見えにくい重要な仕事が置き去りにされてしまった。チャレンジングな意識は阻害され目先の仕事にまい進するようになった。結果的に意識は減退し仕事の生産性や業務効率性を押し下げる結果となった。

●施策を実現する唯一の方法

なお、日本経団連の「経営労働政策委員会報告」では、ここ数年「成果主義」を推し進める記事が存在しない。当初は、鳴り物入りで成果主義をすすめてきたものの、厳しい競争にさらされて正社員の多くは賃金が低下し、過労やストレスが増大した。成果主義という表現は「透明性と納得性の高い人事評価システムの構築」に置き換えられた。さらには、年功制を容認するまでにいたっている。

しかし、施策を実現する方法が無いわけではない。人事制度のブロードバンド化である。人事制度の多くは、等級が増えて内容が複雑化した結果、賃金への反映が複雑化している。特に職務内容記述書を全員分作成する必要性がありこの作業は膨大な手間がかかる。ブロードバンド化は職務等級を大括り(3~4つ程度)にバンドとして括る方式である。同じバンドの中での評価であれば等級も変わらない。

非正社員、正社員のバンドが同じ場合、大括りであることから運用がし易いメリットがある。「同一労働・同一賃金型成果主義」と表現したほうがわかり易いかも知れない。しかし、これも人事制度上における解決に過ぎず、前述で述べたような課題はそのまま残る。

「同一労働・同一賃金」は非常に難しい議論である。現状、「同一労働・同一賃金」が適応するのは、レジ打ちの事例であげたような、職務(受け持った仕事)が定量化可能な業務に限定されるだろう。ゆえに「夢と華と錯覚」(イリュージョン)に成りかねないのである。より、慎重な議論と対応が求められることだろう。

尾藤克之
Amazonプロフィール http://amzn.to/1V0jFuS
コラムニスト/経営コンサルタント。議員秘書、コンサルティング会社、IT系上場企業等の役員を経て現職。著書に『ドロのかぶり方』(マイナビ)『キーパーソンを味方につける技術』(ダイヤモンド社)など多数。