今回のお相手は「乙武洋匡」さんです。大変お忙しい中、1時間もお話いただき、私のどんな問いに対しても丁寧にお答えいただきました。
お会いしての第一印象は、とにかくポジティブなオーラが全開でした。テレビ等で拝見していましたが、直にお会いすると受け取るパワーが全然違いました。
目の前にいらっしゃる乙武さん。確かに両手両足の先が無いのですが、お話ししている間、乙武さんが障害者であると感じる瞬間はありませんでした。
もちろん、私なんかが想像もつかない苦悩や葛藤があったはずです。でも、乙武さんは驚くほど「自然体」で障害と共にいらっしゃいました。格好良かったです。
乙武さんはおっしゃいました。
「自分が手足なく生まれたのは、何か意味があるのではないかと考えた。」
「障害を持って生まれるとか、原因不明の病気になるとかは不可抗力であり、本人には何の落ち度もない。言って見れば、たまたまクジに当たったようなもの。本人には落ち度がないのに、ハンデを背負わなければいけない世の中を何とかしたい。」
「恩田さんは、生まれつきの障害ではなく、出来てたことが出来ないようになり、この先も症状は進行する。大変なことだが、今の恩田さんだからこそ、例えば、人に今を生きることの尊さなどの話をしたら、ものすごく伝わると思う。私にはかなわない。」
私がALSを発症したことにも意味があるのかもしれません。意味を持たせられるかどうかは、今後の私の生き様次第だと思います。私らしく自然体でALSと共に生きて行こうと再確認出来ました。
最後にお子さんの話をしました。乙武さんのお子さんはパパの手足を、あっさりと受け入れているそうです。ウチの子も、日々変わっていく私の身体を受け入れています。子供の受け入れの大きさはすごいですね。
本当に貴重な時間でした。ありがとうございました。
恩田聖敬
恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978年(昭和53年)岐阜県生まれ。京都大学大学院卒業後、2004年複合レジャー施設「JJ CLUB 100」を運営するネクストジャパンに入社。2009年には取締役就任。その後グループ会社であるアドアーズの常務取締役として全国のゲームセンター店舗を回り、希望退職を実施し、大規模な改革を行う。親会社のJトラストでM&A等を担当した後、14年4月に岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任。サービス業の経験と、会社管理の経験をフルに活かし、サッカービジネスにエンターテイメントの要素を導入も、社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。病を公表後も社長業を続投したが、15年11月末の公式リーグ最終戦を以って病の進行により、止む無く社長を辞任。
この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年2月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。