英インディペンデント紙が電子版オンリーへ・下 --- 小林 恭子

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タイムズー「紙版の終わりではない」

同じく全国紙のタイムズは2月13日付の社説で、同紙にとっては「今後長い間にわたって、紙版と電子版が共存するだろう」と書いた。

「広告収入がネットに流れたため、新聞社の収益構造は大きく変わった」が、「読者と強いきずなを持つ新聞には大きな価値がある」。読者がタイムズを紙で、オンラインで、あるいはタブレットのアプリで読もうが構わない、という。

かつては放送界がニュースを報道することで新聞界は危機にさらされたが、各紙は常に革新を続けてきた、だから「紙版と電子版は共存してゆくだろう」。

英紙の革新を担う
インディペンデント紙は1986年の創刊以来、英新聞界で革新的な役割を担ってきた(創刊号の1面、左)。

写真を大きく扱う1面、意見の明確な表明、タブロイド判への移行などが象徴する。

創刊者はデイリー・テレグラフ紙にいた3人の記者。東西冷戦下での核兵器の是非、新由主義を政権が標ぼうする中での国営企業の民営化、労使紛争の頻発など政治イデオロギーの違いによる社会的な対立が激化していた。こうした中、「特定の勢力に組みしない、インディペンデントな(独立した)新聞」として始まる。

ひときわ大きく印象的な写真を全国紙で初めて1面やニュース面に使い、新鮮さ、大胆さを強調した。新しいジャーナリズムの息吹を感じた他の高級紙の若手の記者が続々と集まった。89年には、同じ中道左派系のガーディアン紙を抜き、約42万部の部数を達成した。

しかし、ルパート・マードック氏が率いるメディア大手ニュース社が「戦争」を仕掛ける。同社が発行する保守系紙タイムズを使って安値競争を開始したのである。インディペンデント紙はこれによって大きな打撃を受けた。日曜紙の発行も経営の重荷となり、2003年頃までには20万部前後の部数に減少してしまった。

思い切って、タブロイド判に

挽回に向け03年秋、タブロイド判を発行する(04年、完全に移行)。当時、人気を集めていた無料紙メトロがタブロイド判だったことに注目した。しかし、インディペンデント紙のような高級紙(クオリティー・ペーパー)にとって、これはかなりの決断力を要した。小型タブロイド判は大衆紙のサイズで、「タブロイド」と言えば、ゴシップ記事が中心の低俗な新聞というイメージがついていたからだ。

当時の編集長サイモン・ケルナー氏に筆者が聞いたところによれば、「編集室の全員が反対した」という。しかし、編集長の職権でこれを推進。多くの人の不安をよそに、タブロイド判は大当たりとなった。

この影響で、他の高級紙もサイズの変化を試みる。タイムズがすぐに後を追って小型化し、ガーディアンは縦に細長いベルリナー判となった。

タブロイド判の採用後、「まるでポスターのような」と言われたデザインが目立つようになった。同じく左派系のガーディアン紙との差別化を狙い、意見を明確に出す紙面作りも打ち出す。「ビュー・ペーパー(視点の新聞)」とも呼ばれた。当時をほうふつとさせる紙面展開となったのが、2015年1月のシャルリエブド事件への抗議を表した表紙である(画像、右下)。しかし大きく業績を回復させられず、元KGBの富豪アレクサンドル・レベデフ氏に10年3月、1ポンド(約140円=当時)で買収された(現在は息子のエフゲニー・レベデフ氏が実権を握る)。電子版から十分な収入をあげられずに悩む英新聞界に、同紙を買う体力がある企業家はいなかった。

同年10月、i紙を創刊。高級紙が簡易版を出すのは初だった。当時で20ペンスの定価は本紙の5分の1。高級紙の内容を大衆紙以下の値段で提供するのも初の試みだった。

インディペンデント紙は、初物続きの新聞だ。

富豪の企業家が経営する伝統がある英新聞界で記者が創刊した点が既に初めて。新しいジャーナリズムの創出、タブロイド判への転換、簡易版の発行――。紙媒体の廃止という点でも先陣を切った。



在英ジャーナリスト 小林恭子


編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2016年3月7日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。