障がい者差別よ、さようなら!

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大瀧靖峰弁護士(フロンティア法律事務所、東京弁護士会所属)注1

私は障害者支援の活動を約30年間続けています。国際障害者年にスタートした活動で、今年35年目になります。現在でも行政や自治体をはじめ、多くの関係者に支えられている活動です。

障害者支援はライフワークになりつつありますが、残念ながら誤った理解の方はまだ多いように思います。例えば、「障害」という表記についての議論があります。「害」を「がい」にすべきなど様々な意見がありますが、知りうる限り障害のある人は「害」という字に関してさほど問題視にはしていません。

過去には、多くの障害者が権利を侵害されてきた経緯が存在します。それらの経緯や言葉を平仮名にすることの議論が本質をわかり難くする危険性があるため、私は「障害」と表記しています。

●障害者支援のきっかけとは

障害者支援の活動を始めるきっけになった出来事があります。それは15歳の時の、ある少年との出会いでした。彼は私と同い年で明るい笑顔に特徴がありました。そしてお気に入りの芸能人のブロマイドを持ち歩く普通の中学生でした。私と異なっていたことは筋ジストロフィー症を患っていた点です。既に余命は1年と宣告されていました。

この年の活動は八丈島で開催されました。約100名の障害者が参加していましたが、彼は八丈島にそびえ立つ八丈富士を登りたいといいます。2時間をかけて頂上に登り眼下の青い海を見ながら「これが最後だろうな」と呟きました。そして16歳を前にした同年12月に彼は旅立ちました。※この記録は、当時、ロケに同行していたフジテレビ「ワイドワイドフジ」にも特集(八丈富士は知っていた)として取り上げられました。

彼との出会いは私に衝撃を与えました。それ以降、微力ではあるものの、社会福祉事業に貢献できればと障害者支援をおこなうようになりました。福祉先進国であるアメリカを見習って、学生になってからは毎年一定の寄付もおこなっています。しかし残念なことに、「偽善である」と批判されることがあります。これは非常に残念なことです。

●事例から学ぶケーススタディ

友人の、大瀧靖峰弁護士(フロンティア法律事務所、東京弁護士会所属)が共著として関わった、「障がい者差別よ、さようなら!」(生活書院・障害と人権全国弁護士ネット)を改めて読み直してみました。

全国の障害者の権利獲得のための裁判事例を担当した弁護士がケースを分析報告しているケーススタディ集です。個別のケーススタディは数ページ程度で簡潔に整理されているので非常に読みやすくまとめられています。本書は障害者を取り巻く環境を鳥瞰し、判例をわかり易く理解したい方には参考になるかと思います。

また、大瀧弁護士は障害者支援に造詣が深い弁護士です。日弁連の「障がい差別禁止法特別部会」のなかでは、「障がいのある人の権利と施策に関する基本法改正案」(現行の障害者基本法の改正案)という日弁連案の草案作成にも関わっています。

3月9日の医療NEWSに大瀧弁護士の記事が紹介されていますので関心のある方はご一読ください。「認知症列車事故訴訟の最高裁判決に大瀧弁護士『責任の押し付け合いは、もう古い

●共生できる社会づくりの重要性

1972年に米国ペンシルバニア州裁判所は「障害の如何を問わず、すべての子供はその能力に応じて教育を受ける権利を有する」(PARC判決)と宣言しています。これは、差別的な教育に対して是正を求めたものであり教育のダンピング(教育の放棄)を招く危険性があることへの警告です。

内閣府の平成26年度障害者雇用状況によれば日本における障害者数は、身体障害者366.3万人(人口千人当たり29人)、知的障害者54.7万人(同4人)、精神障害者320.1万人(同25人)であり、国民の6%が何らかの障害を有するとしています。障害者政策は喫緊の課題でもあるのです。

最後に、本書の「はじめに」に書かれている一文を引用しまとめとします。「何より全ての国民がこれらの障がいのある人もない人も共にそのことを意識することなく共生できる社会づくりに参加していただくことを切に望む次第である。」

尾藤克之
コラムニスト
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注1)画像はQLife Pro・医療ニュースより引用
http://www.qlifepro.com/news/20160309/supreme-court-lawyer-of-dementia-train-accident-lawsuit.html