11日、東日本大震災5年目を迎え、さまざまな追悼行事が日本国内ばかりか、世界各地で行われた。音楽の都ウィーンでも東日本大震災5年追悼コンサートなどが挙行されたばかりだ。欧州の地から、大震災の犠牲者とその家族の皆さまに追悼を表したい。
▲「ウィーンの夜明け風景」(2015年11月、ウィーン自宅から撮影)
大震災に遭遇した日本国民は当時、忘れかけていた「家庭の絆」を再発見した、というニュースが流れてきた。その一方、全てを破壊し、持ち去っていく大震災、津波を目撃し、人生の空しさを痛烈に感じた人もいただろうと思う。
マグ二チュード9は明らかに想定外の規模だ。「想定外の出来事」に出くわすと、人は否応なく考え出す。それが東日本大震災のように天災の場合、人生とは、人生の目的とは、死後の世界は存在するか、普段忘れていたテーマが顔を持ち上げてくる。想定内の出来事の場合、ラッキーだった、とか、運がなかった、といった感慨で幕を閉じることができるが、想定外の場合、どうしても人は哲学的なテーマを考え出す(「なぜ大惨事が生じたか」2011年3月19日参考)。
1755年11月1日、マグニチュード8.5から9の巨大地震がポルトガルの首都リスボン市を襲い、それに伴い津波が発生。同市だけでも3万人から10万人の犠牲者。同国では総数30万人が被災した。文字通り、欧州最大の大震災だった。その結果、国民経済ばかりか、社会的、文化的にも大きなダメージを受けた。それだけではない。大震災は人間の思考にも大きな変化を与えた。例えば、ヴォルテール、カント、レッシング、ルソーなど当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けたといわれている。彼らを悩ましたテーマは「全欧州の文化、思想はこのカタストロフィーをどのように咀嚼し、解釈できるか」というものだった。換言すれば、「愛の神」の不在への憤りだ(「大震災の文化・思想的挑戦」2011年3月24日参考)。
「想定外の出来事」は、大震災や津波など天災だけではない。個々の人生でも想定外の出来事に遭遇する。身近な例は家族、親族、友人の突然の死だ。愛する妻、子供が突然亡くなった場合、その心の痛みは表現できないものだ。
名探偵シャーロク・ホームズの生みの親、英国作家コナン・ドイルは愛する息子を突然失った後、米国プラグマティズムの創設者ウィリアム・ジェイムズ、イギリス功利主義哲学パイオニア、ヘンリー・シジウィック、進化論の生みの親・イギリスの博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスら第一線の科学者たちが当時追求していた心霊研究に強い関心を示し出した。愛する息子ともう一度会いた、という思いがドイルを心霊学の世界にひき入れていったといわれる。
チェコスロバキア共産政権下の最後の大統領、グスタフ・フサークの名前を覚えている人はもはや少ないだろう。フサークは1968年8月にソ連軍を中心とした旧ワルシャワ条約軍がプラハに侵攻した「プラハの春」後の“正常化”のために、ソ連のブレジネフ書記長の支援を受けて共産党指導者として辣腕を振るった人物であり、チェコ国民ならばフサークの名前は苦い思いをなくしては思い出すことができない。
そのフサークが死の直前、1991年11月、ブラチスラバ病院の集中治療室のベットに横たわっていた時、同国カトリック教会の司教によって懺悔と終油の秘跡を受け、キリスト者として回心したという。その話は国民に大きな衝撃を与えた。死という人生の最終幕に直面し、フサークは過去を悔い改め、回心した。
ちなみに、イエスの弟子たちを迫害してきたユダヤ人サウロがダマスコで「復活のイエス」に出会い、改心した話は新約聖書の中で「パウロの回心」として良く知られている。
まとめてみる。人が大きく変わる時、程度の差こそあれ「想定外の出来事」と遭遇している。想定内の出来事から新しい自分を探し出せる人は多くはいないだろう。
それでは、人にとって「想定外の出来事」とは何か。突き詰めて考えれば、「死」「死の恐れ」が目の前に迫った時ではないか。生きている者は必ず死を迎える。「死」は人の一生で最も想定内の出来事だが、デンマーク王子ハムレットではないが、死の世界から戻ってきた者は誰もいない。そのため、「死」は常に「想定外の出来事」と感じられてきたのだろう。
私たちは、「死」が「想定外の出来事」ではなく「想定内の出来事」と理解して、一日一日を感謝しながら全力をもって生きていきたいものだ。これは東日本大震災の教訓の一つではないか。少なくとも、当方には、そうだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年3月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。