新卒1年目のことです。
複合レジャー施設を運営するベンチャー企業に私は就職しました。入社以来、東大阪と鈴鹿の店舗で新規オープンを経験した私に、オープン後、上手くいっていない太宰府店への異動の内示がありました。若く怖いもの知らずの私は、「店長をやらせてもらえるなら行きます!」と言い放ちます。その結果、年商約4億、社員10数人、アルバイト含め約50人の大所帯の店長に就任します。行くにあたって、上手く受けいれてもらうため、以下の3つの作戦を考えました。
①トイレ掃除
私は、赴任初日に店舗近くのホームセンターで、つなぎ、バケツ、タワシ、洗剤など「myトイレ掃除セット」を買い揃えました。それから、出勤したらつなぎに着替え、トイレ掃除を黙々としました。お店にとってトイレの清潔さは生命線です。しかし、対お客様だけではなく、スタッフに「私はどんな現場仕事も一緒にやるよ!」ということを示したかったのです。
②話を聞くことに時間を惜しまない
アルバイトのリーダー格が、なかなかいうことを聞いてくれません。ある日、改めて時間をとって話を聞いてみました。彼の口から意外なことが話されました。
「社員の方は、俺らアルバイトがサボってても怒ってくれない。俺らに関心ないんでしょ!一所懸命やっても、褒めてくれないんでしょ!」
無関心より怒られたいと言うのです。よく言われますが、人は無視されるのが一番辛い。そのことを再確認した瞬間でした。ちゃんと見てると約束した後、彼は真のリーダーに成長していきます。
③現場力
店長になると、どうしてもデスクワークも多くなり、施策を考える時間も必要で、なかなかフロアに出て接客する時間を取れなくなります。これに対して私は、「繁忙時には必ず現場に出る。」を自分に課してました。理由は2つあります。
1つは、繁忙時にはオペレーションのほつれが生じやすいため、お客様の表情やスタッフのテンパり具合を、現場で肌で感じるためです。
もう1つは、繁忙時だからこそ、誰よりも笑顔で、誰よりも元気に、誰よりも丁寧にお客様に接し、インカムを駆使して現場を指揮する。そんな圧倒的な現場力を、スタッフに見せつけ、平日は事務所にいることを納得してもらう為です。
こんなことを考えながら、店長をやっていましたが、所詮は26歳の浅知恵なので、こちらが想定している様にはなかなか伝わりません。人を束ねることの難しさを痛感しました。当時のスタッフには、自分の力不足を謝りたいです。ゴメンナサイ。
あれから約10年、FC岐阜のスタッフを束ねることも難しかったです。。。力不足です。
恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978年(昭和53年)岐阜県生まれ。京都大学大学院卒業後、2004年複合レジャー施設「JJ CLUB 100」を運営するネクストジャパンに入社。2009年には取締役就任。その後グループ会社であるアドアーズの常務取締役として全国のゲームセンター店舗を回り、希望退職を実施し、大規模な改革を行う。親会社のJトラストでM&A等を担当した後、14年4月に岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任。サービス業の経験と、会社管理の経験をフルに活かし、サッカービジネスにエンターテイメントの要素を導入も、社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。病を公表後も社長業を続投したが、15年11月末の公式リーグ最終戦を以って病の進行により、止む無く社長を辞任。
この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年3月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。