岸井成格氏の鉄面皮

雑誌「WiLL」4月号に評論家小川栄太郎氏の「TBSの『社会不適合性』」という論考が載っている。その中心は毎日新聞社特別編集委員でTBSの「NEWS23」のアンカーを努める岸井成格氏(元毎日新聞社主筆)の批判だ。

岸井氏は安保法案には反対の立場を取っており、昨年9月16日放送のNEWS23で「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべき」と述べた。

この発言は「政治的に公平であること」「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記された放送法第4条に違反する可能性がある、と小川氏は批判する。

小川氏は、昨年「放送法遵守を求める視聴者の会」を立ち上げた主要メンバーの一人で、同会は同年11月26日に会見を行い、岸井氏に対し「自らアンカーを務める『NEWS23』が放送法第4条を遵守するよう配慮する意思をお持ちでしょうか」などの公開質問状を突き付けた。

TBSは12月25日に記者会見を行ったが、質問状に対する岸井からの返答は無かった。これに対し、視聴者の会は「当会は、(TBS)社からの回答はなくとも、個人としての資格による岸井氏の回答はあるだろうと期待していました。TBSに『無回答という回答』を代行させた氏に対して、強い失望を禁じ得ません」とコメントを出した。

視聴者の会はこの問題について、高市総務相にも公開質問状を出した。前回のブログで紹介した「放送法に違反した場合は電波を止めることがありうる」いう高市総務相の発言も、元はと言えば視聴者の会の質問状に端を発している。

その後、総務相発言が問題となり2月末、田原総一朗氏ら有名タレント・ジャーナリスト7人が抗議声明を出したわけだが、なんと岸井氏はその中に納まっている。

岸井氏のウィキペディアにこうある。

<2016年2月29日に岸井を含むジャーナリストら6人が東京都内で会見を開いた際、上記意見広告(引用者注――視聴謝意の会の意見広告)に対する感想を記者に問われ、「低俗だし、品性どころか知性のかけらもない。恥ずかしくないのか」と、広告を掲載した「放送法遵守を求める視聴者の会」やそれに賛同する多くの視聴者を貶める発言を行った>

岸井氏がどんな政治思想を持ち、視聴者の会への感想を持っていようと自由である。だが、民間機関とは言え半ば公の組織として結成され、公開質問状まで受けているのに、すべて無視した上で、自民党政権を貶める抗議声明には参加するのである。

これを鉄面皮と言わずしてなんと言おうか。

ジャーナリストなら、自分の姿勢が放送法に違反していないのかどうか、具体的に応えるべきではないか。少しも答えずに逃げ回っていながら「品性どころか知性のかけらもない。恥ずかしくないのか」という非難は天につばするに等しい。「事実」「真実」を追求する記者の姿勢から大きく外れている。「恥ずかしい」のはそうした自身の姿勢であろう。

岸井氏は内心、こう言いたいのだろう。

「安保法案に反対する自分は正しい。視聴者の会などという衣をかぶって安倍首相を援護する保守派の面々などに答える義務はない。その発言もおよそ知性のかけらも品性もない」。

だが、[NEWS23」における一連の自分の発言が著しく偏り、「政治的に公平であること」という放送法の規準に違反してきたことはわかっている。そんなことは数十年前からあり、総務省はよほどひどくなければ、基本的に問題として来なかった。「暗黙の了解」「あうんの呼吸」でやってきた。

総務省の役人も視聴者から文句が出なければ、面倒なことに手を出したくないからだ。厳しい姿勢をとると「独裁者的だ」「国家全体主義だ」「自由と民主主義を守れ」と言われかねない。実際、今回も田原氏などが抗議してきた。

それでいてイザとなれば放送法という「伝家の宝刀」を使って放送局を黙らせることができる。否、本当の「伝家の宝刀」は電波利権の剥奪である。まさに影の世界では総務省の独裁が維持され、利権を手放したくない放送局はそれに従っている。

然り、「報道の自由と民主主義を守れ」などと言いながら、電波オークションをやらない放送の世界は自由と民主主義から逸脱した旧態依然とした電波社会主義なのである。

岸井氏もTBSの幹部もそのことを良くわかっている。まともに放送法遵守で来られたら、自分たちが不利であることを。

それを小川氏らは民間の側から攻め立ててきた。岸井氏は「平和と自由を守る」自分達を攻撃する「戦争派」の「犯罪」と思っているのかも知れない。「品性どころか知性のかけらもない」という発言はそこに由来しよう。

岸井氏が2016年3月末をもって『NEWS23』のアンカーを降板し、TBS専属のスペシャルコメンテーターに就任するのもそのためだろう。アンカーはより「中立・
公平」でなければならないが、コメンテーターなら偏った自分の意見を述べることができる。

だが、そうした事情を丁寧に説明し、放送法との折り合いをつける姿勢を見せることが岸井氏のようなジャーナリストには特に必要ではないか。

小川氏は「WiLL」4月号でこう書いている。

<(無回答を貫いた岸井氏の姿勢は)甚だ残念という他はない。岸井氏は……毎日新聞の主筆まど努めた「言論人」だからである。言論人は、どこまでも一個人の言葉の力のみに依って立つべきであり、その意味で、岸井氏が無回答という回答さえもTBSに代行させたのは、言論人の矜持を根底から放棄したに等しいだろう>

言論人なら集団的自衛権の行使容認や安保法案は憲法9条に違反している、などと、自分に都合の良いところだけ「法律」をつまみ食いする「法律」論は止めることだ。

言論の自由も民主主義も言論としての主張の正しさを具体的に、論理的に深めることで磨かれて行く。視聴者も読者もそれを求めている。それなのに、自分の都合の悪い点を無視して行くようでは、大手メディアの明日は暗い。大手メディアの言葉の力は衰える一方だろう。