ショーンK詐称騒動は現代のソーカル事件である

僕は哲学や思想のことには、さっぱり興味がないのだけれど、一昔前まで、たとえばフランスの哲学者がロックスターのように崇められ、彼らの書く文章を、日本の一流大学のたいそう頭のいい教授たちが理解し、解釈し、世界の成り立ちについて思いを馳せ、それらをやはり頭のいい学生に講義していたそうだ

そのさらに昔は、マルクス主義やサルトルの実存主義なんかがこうした文系インテリたちに大人気だったのだけれど、ソ連のスターリンが粛清を行い、中国の毛沢東が文化大革命で膨大な数の人民を虐殺してしまい、こうした思想はすっかり時代遅れになってしまったのだ。そこに現れたのが、モダニズム(近代主義)の主体概念に対して構造主義によって提起された批判を中心に構築された、ポストモダンという思想体系である。

こうした考え方を簡単に説明すると、当時のスターのひとりだった『ポストモダンの条件』を著したリオタールの言葉を借りれば、ポストモダンとは大きな物語の終焉であり、ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わると言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。つまり、マルクス主義という壮大なイデオロギーの体系が「大きな物語」であり、高度情報化社会では、記号や象徴の大量消費が行われるわけで、ポストモダンとは、民主主義と科学技術の発達のひとつの帰結なのだ(すいません。Wikipediaにこう書いてあったのですが、何を言ってるのか、さっぱりわかりませんでした)。

1980年代には、ポストモダンが大流行し、哲学や思想の知の巨人たちは、数学や物理学の成果も、積極的に取り込みはじめた。人間社会やそこに住む人々の本質的な問題を、位相幾何学の高次元空間や量子力学の不確定性原理を使って説明することを試みたのだ。日本の文系インテリたちは、こうした知性に魅せられ、彼らが生み出す難解な概念を理解するため、必死になって勉強していた。当時は、日本でも『現代思想』などの雑誌の発売日を、ロックスターの新しいアルバムを待つかのように、文系の大学生たちが待ちわびていたそうだ。

こうした世界の知の巨人たちは、文系学生や会社で働く文系エリートたちに高額な書籍を売りつけていたのだが、まさか、本物の物理学者が自分たちの論文をまじめに読むとは思っていなかった。しかし、当時、ニューヨーク大学で物理学の教授をしていたアラン・ソーカルが読んでしまった。そして、彼らが言っていることはデタラメだと気がついた。そこで使われている数学や物理学の用語も間違いだらけだった。

ソーカル教授は、ポストモダンの思想家の重鎮たちの論文を切り貼りしながら、物理学の用語を散りばめ(意図的に初歩的なミスをいくつも仕込んでおいた)、デタラメな論文を自ら書いた。タイトルは、

境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて
(Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity)

であった。そして、この擬似論文を、当時アメリカで最も権威があるとされていたポストモダンの思想誌『ソーシャル・テクスト』に投稿してみたのだ。結果、見事に掲載されてしまった! 1996年のことである。これは当時の文系インテリたちにとって、破壊的なスキャンダルとなった。

難解な思想を語っていた人たちは、自分たちのしていることをさっぱり理解していなかったし、彼らの難解な論文を読んでいる日本の大学教授もさっぱり何も理解していなかったし、それらの講義を聴いていたインテリ学生もチンプンカンプンだったのだけれど、みんなで自分たちの知性を褒め称えながら、知的遊戯を楽しんでいただけだったのだ。後に、ソーシャル・テクストの編集長には、著者でさえ意味がわからず、しかも無意味と認める論文を掲載した功績を称えられ、イグ・ノーベル文学賞が与えられた。

いまでは、ポストモダンなどの思想は空っぽで、こうした哲学分野を研究していた教授や学生がバカなことは誰の目にも明らかになり、人文系のアカデミズムはどんどん廃れていっている。日本でも、財務省や文科省が、国公立大学からこうした学部を無くそうとしている。

しかし、僕はポストモダン的なものは、形を変えて、いまでも盛んに行われていると思うのだ。マッキンゼーやBCGのような、高額なフィーを要求する戦略コンサルティングファームは、ハーバードのMBAやマサチューセッツ工科大学のPhDをずらりと揃え、複雑化するグローバル経済に対する洞察、多国籍企業が成功するための鍵について、多くの専門的なマネジメント用語を使って、解説している。彼らの作る20枚のスライドに、多国籍企業がときに何億円も払っているのだ。

それらは、本当に価値があるものなのだろうか? 僕には、企業が成功したのは「優秀な人たちが集まって、力を合わせてがんばったら、たまたま時流に乗った」だけに見える。そうした、浅草の商店街のおばちゃんでも知っているようなことを、専門用語を散りばめながら、難しく語っているだけではないのだろうか。

ショーンKは、ハーバードのMBAを取得し、世界的なコンサルティングファームを経営しているというホラ話で、のし上がった。しかし、彼は熊本の田舎から出てきた高卒の声優だったのだ。彼が最近行ったという講演のタイトルの一部を抜粋しよう。

●「ストラテジー・エコノミクス(戦略の経済評価):事業価値評価、バリュエーション」(日本経済新聞社主催)
●「管理か放任か!?伸びる企業の要諦:Corporate Entrepreneurship」(ダイヤモンド・ビジョナリー主催)
●「リーダーシップ&フォロアーシップ・マネジメント
Self Assembly(自律的秩序形成)型組織」の作り方(地方銀行主催)
● パネルディスカッション「激震経済」モデレーター(読売新聞出版社主催)
●「なんとかしなきゃプロジェクト 本当の企業の社会貢献とは?」(JICA国際協力機構主催)
●「日本の競争力再評価とグローバル戦略の実践:インフラ輸出、PFI事業の可能性」(大和証券グループ本社主催)
●「インド市場参入、事業拡大の成功要因分析」(経済産業省/インド商工会議所連合会 Federation of Indian Chambers of Commerce and Industry)
●「日本の教育:産学連携のダイナミズムを取り入れた知の生態系-スタンフォード大学Center of Integrated Systemsの学際教育をベンチマークに」(東京大学大学院情報学環・学際情報学府主催)
●「今、求められる次世代グローバル人材の資質と要件」(デジタル・ハリウッド大学大学院)
● ポストG20グローバル時代におけるグローバル事業戦略とマネジメント・スキル(ダイヤモンド社主催)ほか

ポストモダンの思想家たちが量子力学の言葉を散りばめたように、ショーンの講演のタイトルには、「知の生態系」「自律的秩序形成」「ポストG20グローバル時代」「戦略の経済評価」といった、コンサルティング会社や経営学の教授連中が作り出してきたバズワードが踊っている。

そして、熊本からやってきた高卒のDJが、本屋で適当に買った本の受け売りで行った講演と、ハーバードのMBAを取得してマッキンゼーに雇われた本物のコンサルタントのプレゼンテーションの違いを、テレビ局のプロデューサーも、大企業の重役も、東大の教授連中も誰もわからなかったのだ。

ショーンKの詐称事件は、現代社会に蔓延る権威主義、知の欺瞞といったものを鮮やかに暴きだしてしまったことになる。これは日本の高学歴の人たちが担っているある種の知識産業にとって、破壊的なスキャンダルではないだろうか?

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編集部より:この記事は、藤沢数希氏のブログ「金融日記」 2016年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「金融日記」をご覧ください。