詭弁家ソクラテス?

改めて云うまでもない周知の事実だが、ソクラテスは一冊の著作も残さなかった。彼の思索として伝えられているのは、全て他者によって描かれた言葉からなるものだ。ソクラテスの弟子として最も有名なのがプラトンだろう。『国家』、『法律』、『ソクラテスの弁明』など、ソクラテスの哲学の根幹ともいうべき言葉をプラトンは対話篇という形式で後世に遺した。だが、ソクラテスの姿を描いたのはプラトンだけではない。

 

例えば、喜劇作家のアリストファネスは『雲』という喜劇の中で、ソクラテスを登場させている。『雲』で描かれているソクラテス像は、弟子であるプラトンが描くプラトン像とは相当懸け離れているといわねばならない。アリストファネスはソクラテスを人々を惑わす怪しげな詭弁家、そして、従来の道徳を破壊する危険な思想家として描写している。

 

借金の返済に苦しむ男が、一つの奇策を思いつく。息子をソクラテスに弟子入りさせようというのだ。噂によれば、ソクラテスは事の正邪に関わらず議論に必ず勝つという弁論術を教えているという。息子に弁論術を習得させ、借金返済を無効にするような詭弁を論じさせようと目論んだ。早速、男は息子をソクラテスに弟子入りさせる。

 

ソクラテスの下で、正邪に関わらず議論に勝つという弁論術を身につけた息子は、男の計画通り、借金取りを撃退させた。喜んだ男は祝杯をあげるべく宴席を設ける。男は息子に歌を歌うように指示するが、息子は馬鹿馬鹿しいと云って取り合わない。何度か頼み込まれた末に息子が歌った歌は、近親相姦を仄めかす歌だった。堪忍袋の緒が切れた男は息子を叱りとばすと、息子は口答えしてくるだけでなく、男を打擲した。さらに、父親を打擲することは正しいことであるとまで主張し始めた。正邪に関わらず議論にかつ術を心得ている息子に対して、男は余りに非力だ。後悔し、怒りに打ち震えた男はソクラテスの住居に火を放つ。焼け死にそうになったソクラテスが家から飛び出して幕切れとなる。

 

一般的な道徳、神への敬虔さ、伝統。ソクラテスは、こうした諸価値に対する反逆者として描かれている。反逆者としてのソクラテス像は、余りに一面的に過ぎるのかもしれない。ましてや喜劇の中で、滑稽に描かれているのだから、大袈裟な表現であったことは間違いあるまい。だが、当時、こうしたソクラテス理解が流布していたからこそ、ソクラテスは最終的に毒杯を仰ぐことになったのであろう。
こうしたアリストファネスの描いたソクラテスと全く違うソクラテスの側面を叙述したのが、クセノフォン『ソークラテースの思い出』だ。クセノフォンはソクラテスの弟子で、著述家であるとともに軍人でもあった。

 

そもそも、クセノフォンがソクラテスに弟子入りしたとされる逸話が面白い。

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編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2016年3月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。