ロンドン市長が書いたチャーチルの伝記

小林 恭子

3月30日、現役ロンドン市長ボリス・ジョンソンが書いたチャーチルの伝記『チャーチル・ファクター』の邦訳版がプレジデント社から刊行されました。

元日本経済新聞の論説委員で、これまでに『サッチャー回顧録』や『ブレア回顧録』(ともに出版社は日経)など、いくつもの翻訳本の経験がある石塚雅彦さんと当方が翻訳者になっております。

もともとチャーチル(1874-1965年)の没後50年の区切りとして出版されたものですが、英国では発売後、すぐにベストセラーになりました。

チャーチルは英BBCの「もっとも偉大な英国人」調査(2002年)で一位になるほど英国人からは尊敬され、慕われている存在ですが、すぐに売れた大きな理由はジョンソン・ロンドン市長が書いたからでした。

ジョンソン市長を英国ではほとんどの人が「ボリス」というファーストネームで呼びます。根強いファンが全国にいて、次期首相候補の一人ともいわれています。ただし、「首相候補の一人」と言っても、「まさかね」と苦笑する人もたくさんいます。

というのも、親しみやすい丸っこい体形、金髪のぼさぼさ頭と青い瞳のボリスは、人前でジョークを言ったり、言葉遊びが得意な人物で、そんないわばコメディアンのような人が首相になるなんて、普通には信じられないからです。


(ロンドン市長のウェブサイトより)

しかし、実はボリスは「政界のトップに立つ」という強い願いを心の中に長年抱いてきた人物でした。現首相のデービッド・キャメロン(49歳)はボリスの2歳年下ですが、同じころにオックスフォード大学に通い、あるクラブのメンバー同士でした。表に出したことはありませんが、「キャメロンには負けられない」という感情は、相当強いようです。

ボリスは大学卒業後、ジャーナリスト、政治雑誌編集長を経て下院議員に当選。今も下院議員で、かつロンドン市長でもあります。全国紙にコラムの執筆も続けています。

エリート層に属するボリスですが、会話の中にトレンドになっている言葉やジョークを散らばめることで、庶民層にもファンを拡大しました。

ボリスはチャーチルが大好きなそうです。そんなボリスが書いた『チャーチル・ファクター』は英国では2014年秋に出版されました。

第2次世界大戦時に首相になり、英国を一つにまとめながら、ヒトラーに勝利したチャーチル。しかし、首相になる前はどんな政治家だったのか、戦中、戦後に何を達成したのか、英国民でさえも、十分に知っていないーーそんな思いがあったボリスは、チャーチルの没後50年という節目で伝記を書くプロジェクトに喜んで乗ったようです。

『チャーチル・ファクター(The Churchill Factor)』の「ファクター」には「要素」という意味があります。つまり、「チャーチルをチャーチル足らしめた、特別の要素とは何だったのかー。

チャーチルの特色を「チャーチル・ファクター」と表現したことにも、ボリスらしさが出ています。

英国では「Xファクター」という音楽オーディション番組(民放ITV放送)があります。これが大変な人気で、「Xファクターがある」というと、何か特別な、きらめくものがあるという意味になるでしょう。

『チャーチル・ファクター』 という言葉自体が国民的な人気番組のタイトルを想像させるような、洒落た題名です。誰がこれを決めたにせよ、トレンディな表現を会話に挟むのが得意なボリスらしい感じがしました。

半世紀前に亡くなったチャーチル。戦時の名宰相として評判を得た第2次大戦の終結からもう70年以上が過ぎました。そんなチャーチルの人生をボリスは生き生きとした視点で、再現してゆきます。

原書を読んだときに、自分自身、たくさんの知らないことがあることに気づきました。

例えば皆さんは、チャーチルが勉強嫌いで、落第生と言ってよい頃があったことをご存知ですか?特に外国語の習得は苦手だったようです。ただし、読書はたくさんしたようです。

1940年5月、チャーチルは初めて首相になりましたが、その数年前まで、ヒットラーの脅威を「大げさに書く、変なやつ」と思われていたことは?「まさか、チャーチルに任せるわけにはいかない」と多くの保守党議員が思っていたのです。戦時という緊急事態がなかったら、果たして首相になれていたかどうか。

堂々としたふるまいのイメージがあるチャーチルは、妻となるクレメンティーンへんの求婚には異様に長い時間がかかったようです。私は、チャーチルが生まれたブレナム宮殿に行って、プロポーズをした場所を確認してきました。木々が生い茂るなかの東屋のような場所でした。


(ブレナム宮殿のこのベンチの上に、二人は長い間座っていたようです。)

ページをめくる楽しみの1つは、チャーチルのジョークがたくさん入っていること。中にはほかの人のジョークでしたが「チャーチルが言った」とされるジョークもありましたが、チャーチルの本で、笑えることーこれもまた、ボリスらしい感じがしました。

チャーチルファンのボリスが書いた、チャーチル論ともいえる『チャーチル・ファクタ―』。書店などで手に取っていただけましたら、幸いです。

(ボリス・ジョンソンとチャーチルの関係については、現代ビジネスの記事もご覧ください。)


編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2016年3月30日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。