日本で2年間拉致監禁された女子生徒(15)が自力で逃げ出して解放された事件が明らかになり、国民に大きな衝撃を投じているという。この事件を聞いて、オーストリアで10年前の2006年8月、8年間の監禁後、解放されたナターシャ・カムプシュさん監禁事件を思い出した。
ナターシャさんは8年間、拉致犯人(当時44歳、ナターシャさんの逃避後、列車飛び込み自殺)の自宅の地下室に拘束されていた。同居していた犯人の母親はまったく事件を知らなかったという。ナターシャさん(当時18歳)は自力で逃げ出して解放された。
同事件は世界的に大きな反響を与えた。同時に、事件の真相についてはさまざまな憶測が流れた。犯人はポルノ・フィルムを撮影していたのではないか、ナターシャさんと犯人との関係、単独犯ではなく、複数の共犯者がいたのではないか、なぜ逃げ出すことが出来なかったか、ナターシャさんはストックホルム症候群に陥っていたなどの憶測に対して、ナターシャさん自身は当時、はっきりと否定したが、メディアの憶測報道は一人歩きした。
事件解決10年後の今年3月、ドイツの元捜査官、現ジャーナリスト、ペーター・ライヒハルト氏は新著「Der Entfuhrungsfall,Natascha Kampusch」の中でこれまで未公開だったビデオ(警察当局は2006年の捜査段階で押収済み)の内容を記述し、精神異常者の犯人がナターシャさんを奴隷のように酷使していた実態を明らかにした。同時に、犯行は単独であり、ポルノ・フィルム制作などとは関係がないこと、犯人とナターシャさんの関係もメディアが報じてきたようなものではなかったことを明らかにした。結論は「ナターシャさんは最初から本当のことを語っていた」というものだ。
オーストリア国営放送は2006年9月6日、8年間監禁から解放された直後のナターシャ(当時18歳)との初インタビューを放映した。以下は、当方が当時、まとめたコラムだ(「ナターシャさんのインタビュー」2006年9月10日)。
「髪をスカーフで覆ったナターシャさんはTV記者の質問に一生懸命答えようとしていた。8年間、地下室で監禁されていたため、光が眩しいのか、会見中に目を閉じる場面が頻繁にあった。正しい言葉を探して口ごもる場面もみられた。
特筆すべき点は、10歳の時に拉致された彼女が語るドイツ語の表現力と語彙の豊かさだ。大学生でも駆使できないようなドイツ語の表現力であり、文才すら感じさせる描写力だった。
拉致犯人は彼女にラジオや雑誌、本を与えていたという。地下の自分の部屋で彼女は賢明に学んだのに違いない。彼女の目はその意思力の強さを示していた。
彼女は『生きのびていく為には自分は強くならなければならない。強くなれば、いつか逃げられるチャンスがあると信じていた』という。
インタビュー後、番組は彼女の発言や表情について、心理学者や教育学者たちに分析させていた。彼らは『8年間の監禁体験から完全に解放されるまでには数年はかかるだろう』と指摘していた」
なお、同インタビューはオーストリア国内で300万人以上が見、世界120カ所のTV会社が放送権を得て放映した。なお、ナターシャさん8年間監禁事件をテーマとして、「3096日」というタイトルの映画が制作されている。
参考までに、ナターシャ―さん監禁事件解決2年後の2008年4月、オーストリア東部の小都市・アムシュテッテン市(Amstetten)で今度は73歳の父親(電気工)が当時18歳だった娘を1984年以降、24年間、地下室に監禁し、性虐待を繰り返し、7人の子供(1人は出産直後、死亡)を産ませたという事件が発覚し、オーストリアは「拉致監禁王国だ」といった汚名を着せられたほどだ。
監禁事件は恐ろしい犯罪だ。犠牲となった女性には生涯消すことが出来ない深い傷を残す。監禁事件から解放された犠牲者の女性をメディアが興味本位に報道することは控えるべきだ。犠牲者を新たに苦しめることがあってはならない。これは「ナターシャさん8年間監禁事件とその後」のオーストリア国民の教訓だった。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年3月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。