ジンバブエ大統領来日。本当に世界最悪の独裁国家?

加藤 完司

ジンバブエ共和国の大統領が3月27日から来日中(31日まで)。他紙は知らないが 日経新聞には豆記事で、安倍首相との首脳会議と天皇皇后両陛下、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻等との宮中午餐が紹介されていた。公式実務訪問賓客との扱いという。だからどうしたの?と言うのが普通の反応と思うが、その疑問に対する答が今日のお題。

 

ジンバブエといえばハイパーインフレ、2009年2月1兆ジンバブエドルを1ジンバブエドルにデノミする等の対策を講じてインフレは沈静化するのだが、そのさなかの2008年8月に同国を観光で家族旅行した。同国の悲惨な経済情勢の原因は独裁者ムガベ大統領にありというのが世の常識だったが、その時の現地滞在の感触とネット上の様々
な様々な事実関係の閲覧結果から、英国主導と見られる欧米諸国のジンバブエいじめが同国の不幸の根源、という事実が分かった。

 

すなわち、日本がムガベ大統領を賓客として迎えるということは、日本が英国に対して、悪いのはお前だろ、と公然と言い放っているのに等しい。外務省の少なくとも中東アフリカ局アフリカ第一課には筋の通った方がおられるようだ。

 

少し解説を記しておく。ジンバブエは元々は英国の植民地の南ローデシアで長い間英国の支配下にあった。当然独立運動もある中、1965年に植民地政府首相イアン・スミスが白人中心のローデシア共和国の独立を宣言し、人種差別政策を推し進めた。これに対して黒人側もスミス政権打倒と黒人国家の樹立を目指してゲリラ戦を展開する。
1978年イギリスの調停により100議席中20議席を白人の固定枠とすることで合意、ローデシア紛争は終結した。ジンバブエとして独立したのは、なんと1980年、ムガベが首相に就任した。

 

政権獲得直後のムガベはスミス元首相ら白人旧政権指導者に対し努めて寛容な態度で臨んだ。白人社会との融和政策は「アフリカでの黒人による国家建設のモデル」と称賛され、1988年には第2回アフリカ賞を授与された。当初は白人の協力も得て順調に経済運営を行い、教育や医療に資金を充てたことで低い乳児死亡率とアフリカ最高の
識字率を達成し、「ジンバブエの奇跡」として絶賛された。1987年12月31日には大統領に就任。以上はWikiより丸ごと引用。

 

ムガベは2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配した。だから、英国貴族にとっては不倶戴天の敵。欧米諸国による経済制裁が始まったのはこの後で、いろいろと理由が付けられているようだがどうも納得いく説明はない。一番わかりやすいのがジンバブエいじめ。その結果、ハイパーイン
フレに陥り、国民が苦しむことになった。英国をはじめ、ジンバブエの経済制裁に加わった国々が「人道的支援」などと口走ったら、(以下自主規制)

 

ジンバブエに短期間とはいえ滞在して印象的だったのは、経済が破綻した独裁者の支配する国とは思えない、国の明るさだった。治安も良い感じだし、豊かではないにしろ貧困の暗さがない。大統領写真があるのは後進国の特徴とはいえ36年間も大統領でいられるのは、多分国民に信頼されているのだろう。世界最悪の独裁国家という呼び
名は、英国の宣伝工作と思われる。

 

外務省のHPのジンバブエの記述には、2000年の英国資産の国有化については、外交や内政の項目でも触れていない。また下記に引用した外交の項目の(2)では、経済制裁開始の時期と原因について記載がないし、経済制裁のの継続の理由は内政問題。これでは説明になっていないことがわからないのだろうか?

 

(1)2002年3月に実施された大統領選挙プロセスが公正ではなかったとの監視団の報告を受け、英連邦はジンバブエの英連邦評議会への1年間の出席停止を決定、2003年末にはジンバブエは英連邦を脱退した。
(2)土地改革や各種選挙プロセスの混乱から、EU、米、英、豪、加、北欧諸国は、ジンバブエ政府高官の渡航禁止、資産凍結等の制裁措置を継続。欧米諸国との関係悪化を受け、ジンバブエは「ルック・イースト」政策と称して、特に中国やイランとの関係を強化。
(3)2008年に極度に経済情勢が悪化した影響で、食糧不足が発生し、医療・衛生、教育等の社会サービスが崩壊したため、各国は国際機関やNGO を通じた人道支援を拡大。

 

(3)の状況を作ったのは各国で、原因は怨恨。その部分が記載されていない。多分、不都合な真実は隠蔽し、部分的な事実を貼り付けて、情報操作を意識しているのだろう。「捏造ではありません、全て事実です」という狡猾さが透けて見える。「情報操作を目的とした事実の誇大表示禁止法」ができて、官公庁や一部の新聞に対して適用されれば、日本はずいぶんと爽やかな国なれると思う。