ザハ・ハディードのお父さんについての解説。なかなか面白い。
ザハ・ハディードの死|酒井啓子|ニューズウィーク日本版 http://www.newsweekjapan.jp/column/sakai/2016/04/post-952.php
アラブ諸国では、植民地主義からの独立→民族主義・一党独裁・個人支配化と辿る間に、リベラルな政権の時代が短くあった。カーシム政権はその時期で、そこでザハのお父さんが入閣した。
イラクの短いリベラルな時期に一時的に政治的に台頭したリベラル左派の家から、ザハのような超モダンな人が育ったというのは納得いく話だ。父も娘もイギリスの教育を受けた、植民地時代の影響の強い人たちである。
興味深く読んだコラムだったけれども、末尾の結論となると、いつものことながら、論理的な筋道を見いだすことが難しくなる。まず「ザハ・ハディードの父親世代は、すべてのイラク人にとって、失われた良き時代のエリート」なのだ、という主張が信じがたい。「すべて」ってことはまずないだろう。むしろ少数派ではないか。
イラクでザハのお父さんが要職についていたような時代を懐かしんでいるのは、外部の研究者と話が通じるような特定の階層の、思想的にはリベラル左派の人たちなのではないか。
現実のイラク社会で、そういう人たちの力が実際には強くない、あるいは民主化が進んで様々な階層や民族・宗派集団が台頭するとリベラル左派は少数派の地位に追い込まれる、というのが実態ではないか。日本の研究者にとって仲が良くなれる人たちが選挙に勝つわけではない。
そして、フセイン政権崩壊後にイギリスがそういったリベラル(らしき)旧エリート層の有力者を推薦してきたり、今回のイラクの組閣で名前が挙がったりすると、著者がいきなり懐疑的になるのも、いつもながら面白い。「すべてのイラク人」が懐かしんでいるとすぐ前で書いているのに、まさにそのノスタルジーの格好の対象になりそうなシャリーフ・アリーが(イギリスの後押しで)出てくると、イラク人は彼を支持するかね?と急に懐疑的になることが、論理的につながりにくい。
要するに、今回出てきたシャリーフ・アリーについては「イギリスの後押しだからいかん」という植民地主義批判・欧米介入批判をほとんどデフォールトでしているのかもしれないが、そもそもザハもザハのお父さんもイギリスの後押しばりばりの人たちなので、ザハのお父さんが偉くなるような時代をイラクの「すべての」人が懐かしがっている、という議論との一貫性が、見出しにくい。
編集部より:この記事は、池内恵氏のFacebook投稿 2016年4月1日の記事を転載させていただきました。転載を快諾された池内氏に御礼申し上げます。