八幡さんのコメントに対する回答

先回の私の記事に対し、八幡さんから詳細なコメントを頂いたので、感謝の意を表すると共に、それに対する私のコメントを返そうと思ったのですが、何故か新しいシステムが私のメールアドレスを受け付けてくれず、やむなく新たな投稿という形で応答させて頂きます。

なお、前回の私の記事に対しても八幡さんからコメントを頂いていた事を、今日ご指摘を受けて始めて知りました。前回の記事に対するコメントは途中までは読み、逐一反論させて頂いたのですが、それ以降もなおコメントが続いていたとは知らずに、八幡さんからのコメントは相当後の方だったので、読めておりませんでした。失礼いたしました。

 

何故私はこの問題にこだわるか?

古代史の研究には推論の部分が多いので、人によって色々に見解が別れるのは当然だ。私は自分の推論には相当の自信を持っているが、だからと言って他の人の推論を攻撃するつもりはない。しかし、私がこの問題に拘っているのは、主として次のような理由による事は理解しておいて頂きたい。

隣国との関係はどんな国にとっても重要な外交問題であり、特に極東の場合は、超大国である中国が存在する上に、南北に分断された半島国家の韓国と北朝鮮(朝鮮人民共和国)が存在する複雑な状況にあるので、デリケートな配慮が必要だ。

中国は、経済的にも社会的にも国内に多くの矛盾を含み、その中で、民衆の暴発を抑えて、一党独裁体制の保持に腐心しなければならない状態故、外交的にも「随分と一方的で傲慢だなあ」と思うような言動が目立つ事はある程度やむを得ないと思う。

これに対して、朝鮮半島では「何をしでかすかわからない」北朝鮮の「憂慮すべき現状」があり、日本と韓国の双方がこれに直面しているにもかかわらず、日韓間ではお互いに不快感と不信感が広がっており、まともな対話すら出来ない状態にある事は、全く馬鹿々々しい限りだ。

多くの日本人の現在の受け取り方は、「韓国側は無知厚顔に事実を歪曲し、際限もなく謝罪を求め、絶え間なく喧嘩を売ってくる」という事であり、「もう別に関係の改善など必要ではないから、相手の考えが変わるまでは、何年でもそのまま放置しておけばよい」と考える人が多くなってきている。私自身も、韓国側の発言には何度かキレて、「自分もそう考えるに至った」と言明してきている。

しかし、最近の私は「本当にそれで良いのだろうか」と、少し考え直すに至っている。それは、韓国側でも、ビジネスマンなどを中心に、自国民の幼児的な反日活動に嫌気がさし、事態を憂慮する人達が次第に多くなってきている事を知ったからだ。「少なくとも日本側は大人になり、常に公正に徹し、相手の事情もよく汲み取りながら、少しでも可能な事には積極的に取り組んでいくべきではないか」と私自身は考えるに至った。

 

古代史は何故重要なのか?

日韓の間には、一時期、関係改善の希望が見えた時もあった。亡命時代に日本にも相当期間滞在し、日本の事をよく理解していた金大中大統領が「未来志向」を提唱した時の事だ。その時には、日本側から「歴史問題については、双方の学者が、お互いに政治的な思惑は一切入れずに、純粋な共同研究をする事にしてはどうか」という申し入れを行い、一応何回かの会合は持たれたと記憶している。

私の提案は、先ずは「古代史」のみに絞って、あらためてその提案を行い、将来それが「政治と切り離しにくい近代史」にまで及んでいく事を可能にする為の布石にするという事だ。この両者に共通すべきポイントとしては、「全ての歴史認識の基本は先ずは事実関係の究明であり、事の善悪の価値判断はその後で行う」という事がある。

古代史の場合は、「事の善悪の価値判断などは今更してみても何の役にも立たないから、これは研究対象から外す。その代わり、事実関係も断定が難しいから、幾つかの可能性を併記する事で、共同研究の結論としよう」と始めから決めておけばよい。

私が古代史を共同研究の第一弾とする事に特に熱意を持っているのは、日本側が、会議の冒頭において「過去において日本政府が『皇国史観』を一方的に押し付け、韓国の学者達の自由な研究と発言を封じ込めようとしたのは、大きな誤りであった。今回は、その事に対して遡って陳謝すると共に、政治的な思惑とは全く無関係に、古代の極東地域における歴史的真実を、日韓の学者が協力して掘り起こす事を提唱したい」と発言する事により、全てがスムーズに運ぶのではないかという期待を持っているからだ。

 

日本人はもっと度量をもつべきだ。

私が見るところ、日韓関係がギクシャクしている原因の第一は、何と言っても韓国側に被害者意識が強すぎるからだと思っているが、日本側に相手方の感情を斟酌する度量がなく、対応が杓子定規で防衛的に過ぎるという側面もあると思っている。

果てしなく謝罪を要求する韓国側の姿勢も困ったものだが、韓国側の心理的なわだかまりを考慮するなら、日本側は、「どこかに謝罪すべきことがないか」をむしろ積極的に探すぐらいの度量をもつべきだ。慰安婦問題の様に、嘘で固めたストーリーをベースにした謝罪要求に対しては、決して謝罪すべきではないが、「過去における皇国史観の押し付け」等に対しては、謝罪するのが適切だ。

八幡さんは否定しておられるが、八幡さんの古代史に対する言説は「記紀が伝えたかった事」をなぞらえているかのようで、その立場は「皇国史観」のそれに極めて類似している。私はまさにこの点を問題にしているのだ。

八幡さんには「韓国の学者や自虐史観に毒された人は、記紀を読んで誰もが素直に読み取れる事まで否定して、当時の日本の国際的な地位を不当に見下している」という被害者意識があるようだが、これはおかしい。「歴史文献は素直に読み取ってはならない(筆者の意図を嗅ぎ取って裏を読まねばならない)」というのは歴史学の鉄則だからだ。記紀には、中国に対して日本を大きく見せる為に、百済の献策もあって、色々な作為が施されている。

また、韓国の学者が「過去の日本の歴史学者の言説を何でも否定する」事から入ってくるのを嫌悪する日本人は多いが、これもある程度は理解すべきだ。日本が韓国を支配していた時代には、日本の学者が言う事にはひたすら従うしかなかった彼等の立場からすれば、何等かの精神的な鬱屈を今日に至るまで引きずっていたとしても、おかしくはないからだ。これに対し、現在の日本の学者には、何も拘るものはないのだから、何事にも是々非々で、虚心坦懐にひたすら真実の究明に集中すればよい。

 

八幡さんの幾つかの間違いについての指摘

これは大して重要な事ではないが、この事だけは指摘しておきたい。

  • 八幡さんは、中国の文化が朝鮮半島経由で伝来した事を何故か否定したいらしく、中国南部から直接伝来した可能性を強調しておられるが、これには無理がありすぎる。古代史の殆どは推論の産物だが、だからこそ「好みの結論が先にありきの推論」は忌避されねばならない。

成る程、中国では、秦の時代から「東方に蓬莱という不老不死の国がある」という伝承があり、これは或いは奄美大島あたりのことを言っていたのかもしれないが、恐らくは「断片的な言い伝え」が何かのはずみに大きくなった程度のものでしかないだろう。三国時代に至ると、呉が魏を背後から攻めてもらう為に、東方にある筈の倭に使節まで送っているが、彼等が九州までたどり着いた気配はない。

そもそも当時の航海術では、「沿岸伝い」又は「島伝い」でしか遠距離航海は無理で、半島経由の文化の伝搬を仮に100とするなら、中国南部からの直接伝搬の可能性は、0ではないにしても、せいぜい1くらいだっただろうと思われる。沖縄や奄美大島経由の島伝いも、鹿児島地域では当時は幾つもの火山が活動中で、人が立入れなかった事を考えると、全く現実的ではない。

  • 日本語と韓国語が、モンゴル語同様、ウラル・アルタイ語系である事には全く疑いの余地もない。文法は全く一緒であり、中国語の文法とは大きく異なる。

基本的な言葉(簡単な名刺や動詞)には、様々な地域で生まれたものが入り組んでいると思う。弥生式文化が半島からもたらされたものである限り、幾つかの言葉が日韓で共通、或いは類似しているのは当然だ。私にはこれをムキになって否定しようとする人の心理が理解できない。こんな事で「どちらが偉いか」が決まるわけでもないし、そもそも「どちらが偉いか」と考える発想自体が馬鹿げている。

日本語でも韓国語でも、複雑な言葉は全て漢字からきている。(これは欧米の複雑な言葉の殆どがラテン語から来ているのと同じだ。)韓国では、日本と異なり、公文書などには李朝の末期に至るまでずっと漢文(中国語)が使われており、1440年代になってやっと作られた表音文字の「ハングル」は庶民のものでしかなかった。

明治維新後の日本が、日本の「漢字仮名まじり」と(「訓読み」がない事以外は)全く同じ方式の「漢字ハングルまじり」の導入を勧め、以後全ての文書がこの方式になったが、戦後、まず北朝鮮が、続いて韓国が、恐らくは民族意識から、或いはコンピューター時代に適合する為に、相次いで漢字の使用を廃止した。しかし、これは失敗だったと考える人は現在の韓国には多い。

蛇足ながら、コンピューターが漢字を自由に扱えるほど賢くなったので、一見して意味がわかる(従って速読ができる)漢字のメリットは歴然としてきた。また、漢字によって、日中韓の三ヶ国の人達はお互いの言葉の習得が容易になるというメリットもある。現実に、私も韓国に2年住んでいた時代に若干の韓国語を学ぶにあたっては、いつも発音が少し違うだけの漢字から言葉を覚えた。