日本で1970年代後半活躍した韓国女性歌手・李成愛(イ・ソンエ)さんが1978年、突然結婚のため引退することになった。李成愛さんは最後のコンサートでファンの前にお別れの挨拶をした。李成愛さんの歌(カスマプゲ)をYou Tubeで聞いた。
彼女は「ごめんなさい」とファンに詫び、そしてファンにこれまでの支援に感謝して「ありがとうございました」と述べた。それを聞いた時、彼女の「ごめんなさい」という日本語が余りに美しい響きなので驚いた。
「ごめんなさい」と「ありがとう」は本来、意味が異なるばかりか、その使用も当然異なる。「ごめんなさい」は本来、相手に何か良くないことをしたことに対し、詫びる意味合いがある。「ありがとう」は相手にお礼を述べる時に使用する。李成愛さんの場合、少々、違った。「ごめんなさい」は相手に詫びるというより、「ありがとうございます」の意味合いが濃いのに気が付いた。
日本では不祥事が生じる度に会社の社長や関係者がカメラを前で深々と頭を下げて謝罪する。謝罪だから当然、「ごめんなさい」だが、その肝心の謝罪の心が伝わってこないことが多い。むしろプロトコールに基づく一種の儀式となっている。
そこで少し考えてみた。「ごめんなさい」は本来、美しい言葉ではないだろうか。悔い改め、謝罪するといった重い意味よりは、感謝の心が含まれているのではないか。
韓国語が堪能な知人によると、「李さんのごめんなさいには、結婚のために引退するから皆さまの前で今後、歌ってあげられないことに対しお詫びしている」というのだ。換言すれば、与えたくても、与えることが出来なくなる事へのお詫びというのだ。
韓国国民は日本の過去問題に対して執拗に謝罪を要求してきた。一方、日本側は外交上の原則を貫く一方、謝罪表明を行ってきた。しかし、その後も謝罪要求と謝罪表明が何度も繰り返されてきたことは周知の事だ。日韓国民の間には「謝罪」という言葉の認識にズレがあるのではないかと考えてきたほどだ。
日本人の場合、「ごめんなさい」はあくまでも謝罪を意味し、それ以上でも以下でもないが、韓国人の場合、それ以外の思いが込められる場合があるわけだ。興味深い点は、日本人は「すみません」という言葉を頻繁に使用する。この「すみません」の場合、「ありがとうございました」という思いが込められているケースが少なくないことだ。
言語とその意味は一朝一夕で出来上がるものではない。長い時間が経て次第に出来上がっていく。そして、同じ言葉でも語り手、聞き手で意味が微妙に異なってくる。
李成愛さんのお別れコンサート時の挨拶を聞いて、日韓両国民の言葉とその表現の違いを教えられた。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。