民主党と維新の党が中心となり、民進党となった。選挙では、共産党等と協力して野党統一候補で戦うとのこと。政党とは、何のためにあるのか、政治家は国民に対して何をなすべきななか。改めて政党のあり方と政治家の生き方について、僕の考えを述べたいと思います。
僕が衆議院議員選挙に初出馬したのは、平成17年の夏でした。あれから、10年が経過し、この夏で11年となります。この間に、いろんな政党が生まれては消え、消えては生まれ、あの時、何党があったのか、記憶にも残りません。中には、触媒政党と名乗り、政界再編が目的化した政党もありました。選挙の度に出馬する政党が異なる政治家もいます。
何のための政界再編なのか、逆に言えば、この10年、実質的に国民生活が向上するための施策に何ら関わっていないとも、言えるのでないだろうか。与党への批判を結束の旗印とし、離合集散を繰り返し、その度に政策協議を行い、無理やり政策の一致を掲げる。政権与党の政策に対し、意見の取りまとめをすると、結束が綻びる。政権批判と結束の乱れを覆い隠す為に、政界再編を主張し、政界再編さえすれば、世の中が良くなると、有権者に無意味な思いを植え付ける。この10年、こうした野党と政治家に、翻弄され、小選挙区で勝ち上がる事が出来ていない自分が情けないと思っています。
僕の10年間は、3年3ヶ月の浪人生活を含め、一貫して自民党所属の政治家でした。小泉選挙で初当選して、「改革」をテーマに掲げ、河野太郎さんと共に日本で初めて国家予算の事業仕分け(無駄撲滅プロジェクト)を行いました。民主党で有名になりましたが、産みの親は自民党で、中身の質が全く異なります。この活動は、僕のライフワークでもあり、今では、担当の事務局長として、実務を担い続けています。納税者の代表である議員は、税の使い方に責任を持たなくてなりません。自民党の意思決定プロセスは、予算をつけるための議論の場はあるけれど、無駄だからやめようと議論する場が、今まで無かったのです。また、国民と共に歩む政治家として、「百聞は一見に如かず」先ずは、国会を見てもらおうと、4年間で、240回、3000人の方々に見学に来て頂き、自分で説明をしてきました。有権者とのコミュニケーションは何よりも重要と思うからです。
平成21年夏の選挙で、自民党は国民からの信頼を無くし、政権交代となり、僕は落選しました。この間、3年3ヶ月は、有権者から多くの声を聞く為に使わせてもらいました。自民党は、どうあるべきなのか、何を守り、何を変革していかねばならないのか。政治家は、何を思い、どんな活動をしていかねば、ならないのか。一方で、神奈川県内自民党落選議員で、自民党結党から、今日までの施策の検証を3年間かけて行いました。議論、視察、ヒアリング等、1つひとつ丁寧に取り上げ、この結論が、平成24年冬の総選挙において、自民党神奈川県連のローカルマニフェストになりました。この落選経験は、自民党政策の振り返り、政治家「福田峰之」の振り返りとなり、今の自分をつくっています。「政治は国民のもの」という自民党結党の意を改めて認識した期間だったのです。
シリーズ第2回に続きます。
福田 峰之(ふくだ・みねゆき)
衆議院議員・自民党神奈川県第8選挙区(横浜市青葉区・緑区)支部長
前内閣府大臣補佐官
編集部より;この記事は衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2016年3月28日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、ふくだ峰之の活動日記をご覧ください。