会社勤めの方ならほとんどの方が聞いたことがあると思う「報連相」、つまり報告、連絡、相談ですが、これが今後のビジネスシーンでもっと重要になる時代がやってくるかもしれません。
一般に「報連相」は部下が上司に対する関係として捉えられると思いますが、私は一般社会そのものに不足しつつある概念だと感じています。
先日、あるカナダ人の顧客から仕事を依頼され、そのアレンジが終わった際に当社のフィーの金額もメールで送りました。するとその依頼主からいつまでたっても何の返事もありません。了解なのか、不満なのか判断できず、次のステップに進めなくなってしまいました。3日経って、その方に電話でメッセージを置いたところ、5分後にメールで「フィーが不満だ」と一言だけ返事がきました。そこで私はそれなら電話でご相談しましょうと返し、彼と何がどう不満なのか、確認し合い、2時間後には新しい折衷案でセトル(決着)できました。
これは私の反省点なのですが、フィーのことはいわゆる標準レート(どこでもその金額がかかる)なので何の確認もせずに仕事だけ先に進めた結果、あれっ、ということになってしまったのです。幸いにして収まるところに収まったので良かったのですが、コミュニケーション不足が災いしたといってよいでしょう。
「報連相」は一般に社内で最も重要な業務上の「インフラ」の一つだと思います。今やメールでのやり取りがほとんどで上からの指示、下はそれに従うというスタイルが出来上がり、下からの反逆はあまりないのかもしれません。私が経験している限りにおいても「会社がそう決めたのだからしょうがない」というスタンスがありありと出てしまっています。これでは従業員にとってそれがハッピーなのか、不満なのか、分からず、後々にえっ思わせるようなこともあります。
また、会社によっては電話での会話は聞かれたくないという方が増えている気がします。仕事の電話をしているのに「今、社内なので外から電話します」と言われると全く理解不能の世界でしょう。
以前、ある若いスタッフを雇用した際、しばらくしてどうも顧客対応がおかしいと思い、本人に声をかけたところ、「顧客対応のマニュアルがないから何をしてよいか分からない」と返されてしまいました。私の主義は「安全とか、トラブルの際の対応などごく基本的なマニュアルしか作らず、あとは自分で考えよ」という方針です。その為、お客様から突飛なことを聞かれた際、どうしてよいか分からないというわけです。
最近は外国人を含め、いろいろなお客様が増えてきましたが、日本の場合はそれでもほぼ単一民族で行動や反応はある程度予想しやすいものです。ところが、海外で仕事をすると百人百様でスタンダードなるものは存在しないと言っても過言ではありません。その時、基本対応としてはお客様の言い分をまず良く聞き、お客様が何を欲しているのか判断する必要があります。
例えばクレームがあった際に相手が望んでいるのは値引きなのか、返品なのか、商品そのものにダメ出しをしているのか、会社の対応なのか、はたまた訴訟する程のクレームかその会話の端々で読み込まねばなりません。また、勢い余ってのクレームか、心底怒っているのかの判断も言葉の端々、顔つきなどから読み込む必要がありますが最近はネット社会でその力が劣ってきていないでしょうか?
ところで12日付の日経の「春秋」は日銀の市場とのコミュニケーション能力を揶揄しています。「『かならずデフレから抜け出せます』など前向きというより、前のめりの言葉が並ぶ。期待や消費が上向かないのは、賃金の伸び悩みや社会保障への不安が大きいからだろうが、サプライズに頼って強気を崩さぬ日銀の政策への気がかりも影響してはいまいか。緩和から4年目なりの練れた『対話力』を磨くべき時だろう」。
黒田総裁とイエレン議長のコミュニケーションの姿勢は全く違います。あえて言うなら黒田総裁は意地になって自己主張を繰り返すのに対してイエレン議長はあくまでも市場との対話、統計や指標を見てフレキシビリティを持ち、強いコミットをせず、政策のベクトルを提示するにとどまっています。
私は最近、電話での話を以前より増やしています。それの方がメールの単語一つひとつの重みを緩和させ、腹の探り合いができるからです。そういえば、日本では一昔前、「ビジネスは午後五時から始まる」と言われたことがあります。アルコールが入ると本音が出る、という意味です。
こうなればビールのチカラを借りてでもリアルの対話をする訓練を強化した方がよさそうです。(のんべいにはうってつけの理由かもしれませんね。)
では今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 4月17日付より