楽天・Amazonがテスラに駆逐される日 --- Nick Sakai

私たちの暮らしは、もはやインターネットなしには成り立ちません。でも思い出してください。20数年前にはなかったのです。昔は、女の子をデートに誘う時は、自宅の黒電話しかなくて、お父さんがでてきてアタフタしてましたね。待ち合わせの時間に遅刻しても連絡できなかったり。

現代版“方丈記”〜目まぐるしい栄枯盛衰

さて、このIT革命の主役は目まぐるしく交代してきました。まずはNECのパソコン通信から始まり、NetScapeでウエブサーフィンしてたと思ったら、Windows95が出てきてエクセル・ワード・パワポと職場にPCが浸透。デスクトップからラップトップへ。2チャンネルで電車男を眺めていたら、Skypeが出現。世界中に無料でTV電話、国際電話で利を食んでいたKDDアウト。

凄い時代になったな思うのもつかの間、今度はIpodが出てきて、Ituneで膨大な音楽をダウンロード。CD駆逐。ニコニコで動画を共有することがブームになり、初音ミクのボーカロイドにのせて、歌ってみた、踊ってみた。ニコニコ超会議では総理大臣を戦車に載せて、リアル世界にまで浸透。

一方、ハードの世界では「Intel入っている」っていうショーンK氏の甘い声で半導体シェアを独 占してたら、Ipadが登場して、PCそのものが一気に斜陽。NTTの iModeに驚いてたら、Iphoneが出てきてガラケー終了。

ホームページに買い物籠つけてネットショップ作ってお小遣い稼いでいたら、楽天・Amazonに一気にお客さん持ってかれて閑古鳥。HPはBlogに置き換わり、MixiのマイミクさんはごっそりFace BookとTwitterに移動。それはダサいと中高生から火が付いたLINEが浸透。

Steve Jobsが昇天して、Apple元気が無いなと思っていたら、音楽無制限聞き放題ローミングサービスに捲られる。まるで現代版鴨長明方丈記。「この世は百代の過客」Dog Yearで目まぐるしく栄枯盛衰が繰り返された20年でしたね。

インターネット2.0の兆候とは

しかしです。皆さん、こうは考えられませんか?

それでも我々は今、IT革命の入り口に立った程度に過ぎない。この20数年はまだまだ序章で、これからもっと凄い新展開がある。今栄華を誇っているIT企業(例えば楽天・Amazon)は5年と持たないかもしれない。

私はこう思うのです。過去20年間はとってもシンプルだったと。それは「人と人がデータをやり取りする世界」です。私たちが必死になってやってきたことはただそれだけ。これがIT革命の第一章、言ってみればインターネット1.0とでも申しましょう。

やりとりするデータ、最初はテキストだけでした。パソコン通信のチャットルーム、2チャンネルなどの掲示板から始まってLINEにたどり着きます。次に音声と画像です。ImodeからItuneそし てローミング。最後に動画です、Skypeから Youtube。楽天・Amazonが天下統一を果たしたイーコマースもその一部です。お店に出かけて店員さんとやりとりするかわりに、PCの中の人に注文して、力技で1時間以内に商品を届けてもらう、それだけです。

ところが、この1−2年、それとは明らかに異なる兆候が見えています。いわばインターネット2.0の出現です。一つの動きは、ウーバーやAir B&Bといったシェアリングサービスです。これは、一見「人」と「人」を繋いでいるようですが、本質は「人」が他者の「モノ」に繋がるサービスです。「モノ」とはソフトデータではなくリアルな物体、自動車や部屋です。人が簡単にモノに訴求できるようになった。そうです。インターネット2.0の正体とは、IoT=モノのインターネットです。

テスラと楽天・アマゾンの差異は何か

IoTは、「モノ」と「モノ」、例えば自動車とか工場の機械同士が人を介さずに勝手に交信することが最終形態ですが、いきなりそこまでジャンプできないので、まず「人とモノがインターアクトする」という過渡期を経ます。そういう意味ではまだ1.0と2.0の中間、インターネット1.5です。

インターネット1.5の事例としては、自動車の半自動運転や、テスラなど自動車を起点とするスマート・システム(蓄電池と太陽電池と電気自動車のインターアクションを人が介在する)があります。

そこでは人に積極的にモノに関わってもらう強い動機付けが必要になります。人は面倒くさがり屋だから、そんなに都合良く動いてくれない。馬(消費者)を水飲み場(ものとのインターフェース)に連れて行くにはどうすればいいか。「快適さ、便利さ、格好よさ」という新しいライススタイルを訴求することが一番手っ取り早い。こうしてテスラはシステムの販売を通じて、「顧客にインターネット連携機械を動かせる」ことに世界で初めて成功、一番乗りでインターネット2.0の世界に飛び込んだのだと私は思うのです。これは明らかに今までのインターネット発展段階とは一線を画すものです。

一方で楽天・アマゾンは未だにインターネット1.0の世界に生きている。できるだけ多くの商品をかき集めて倉庫に押し込んで、データサーバーを世界中にばらまいて、それを必死に配達して廻っている、それを延々と拡大しているラットゲームのように思えるのです。規模の効率化で生産性は上がっていくけれど、限界効用は低減していく。だから、いずれ頭打ちになる。CO2は増える。外部不経済性が増す。こんなの 持続可能なのかと思っていると、そこに突然2.0の世界のプレーヤーが現れて、思いもつかないやり方で凌駕する。そんな気がしてならないのです。

インターネット1.0は、ある意味で産業革命以降の資本主義経済の高度化が行き着いた最終形態です。東西冷戦が終わって、グローバリゼーションが進み世界は単一の市場となった。そこでは、出来るだけ早く、広く、深くマーケットに訴求し、規模の経済で生産設備を拡大し、販売チャネルを築いたものが勝者となった。半導体・液晶・スマホなんでもそうです。その加速器になったのがIT革命と金融の自由化です。開発設計に優れた一部の企業が、世界に溢れるマネーを調達し、ICTのおかげで取引コストが下がった新興国で生産させ、ブランドを付け て世界中にばらまく。効率性・生産性は極大化されていきました。アメリカが世界の頭脳、中国が世界の工場でした。新興国も資源や労賃で恩恵を被ります。(比較優位が無くなった日本は失われた20年に陥ります。)その成果は金銭価値で評価され、世界のGDPは確実に膨らんでいきました。世界中の金が高速回転し、世界集中管理システムの風船が限界まで膨れ上がったところに、いきなりシェアリングサービスという異端児が現れたのです。なんなんだこいつは?です。

「集中」から「分散」へ

シェアリングは金を生みません。むしろ経済を縮小させます。「所有欲求」というマルクスの資本論の前提をひっくり返します。断捨離・ミニマズム・自然主義・田舎暮らしなどのトレンドは皆、資本主義的には背徳です 。もうAmazonは売るものが無くなるかもしれない。

インターネット1.0の原理が「集中」ならば、2.0のそれは「分散」です。1.0では地球の裏側から一瞬にしてものが届くのですが、2.0は人間の地理空間に制約されます。UberもAirB&Bも自分が「そこにいないと」意味をなしません。共有というのはそういうことです。お隣同士でないと成り立たない。グローバルからローカルへです。

IoTもやはり分散です。理屈の上では世界中の機械と機械が繋がって、共通サーバーが集中管理することも可能ですが、恐らく、現実には、末端の機械同士がある程度集まっってローカルなエコシステム(生態系)を作ったほうが効率がいい。各クラウド毎のプラットフォームさえ規格化しないほうが いい。郷に入れば郷に従え、土地土地に最適化すればいい。それをクラウドを介して緩やかに中央システムとすり合わせていく。ここでは規模の経済や画一化原則は通用しません。今までの最適がそうでなくなる。原始共産主義への回帰かもしれない。効率化原則で世界中に倉庫とサーバーを張り巡らせ、世界市場の統一を成し遂げつつあるAmazonがこういったパラダイムシフトに付いていけるとは到底思えないのです。

私自身もこうした大変革の中で、マネタイズ可能なビジネスモデルを構築しようと、いろいろアクションを起こしていますので、ご興味がある方はどうぞ私のブログに遊びにきてください。

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