気付きを得る

北尾 吉孝

太田アカウンティンググループ代表の太田孝昭さんは、「心の洗濯」と題したコラムの中で次のように言われています――会社経営を行うとは、様々な問題と向き合うことからスタートする気がします。(中略)頭の中が問題で溢れかえっていることもまた事実です。何によって頭を整理すれば良いのでしょうか。

太田さん御自身では「自分に合った先人の教えに浸ってみる」のが一番だと思われているようで、そうすることで「心が洗われ、ロマンに満ちた世界が広がり(中略)、そこから新たな勇気を貰える気がします」と述べておられます。

私の場合はと言うと自分で言うのも何ですが、頭の中は常に整理されていますから(笑)、そもそも本を読んで云々とかと考えたことがありません。もっと言えば、頭の整理を意図して何かに取り組んだという経験がありません。

小生が本を読むのは、頭の中が問題で溢れかえっているからというよりも、唯々時空を超えて様々な人の考え方や世の中の出来事を主体的に(言ってみれば当事者になった感覚で)、書を読むのが楽しいからです。

だから日頃より古典に親しむというか、様々な書物を読んでいます。そして読み終えたものの内、特に深い感銘を受けた本や強い感動を覚えた本につき味読して、更には当該書の中で紹介されている本や人をまた読んで行くのです。

前回のブログ『現在の晩婚化に思う』で取り上げた墨子の「富国論と人口増殖論」は、その具体例の一つと言えましょう。それ即ち、人口増殖という現代的な問題に対し、その時代墨子が如何に考え、どういう答えを示したかということです。現に子の数が中々増えては行かない現行施策を直視すべく、今まで議論されていない事柄も含め、少し違った視点から人口増加の問題を捉え直してみたわけです。

嘗ても当ブログで指摘したように、私は時代が進む中で益々まず頼るべきはネットという形になっている現況が少し問題ではないかと思っています。私などは読書を全くせずに物事をネットで部分的に把握するということでは、極めて不十分だと考えています。

言うまでもなく、ネットでちょこっと齧るというだけでは、その人を全人格的に理解することなど出来るはずもないでしょう。ネットも良いですが、やはり古典や精神の糧になるを主体的に読んで行くといった習慣も、きちっと身に付けるべきだと思います。

『64歳の今、音楽と共に読書あり』とは、1年程前の小生のブログタイトルです。最近ではクラシックを聞きながら本を読む等、段々と嗜好が変わる中で色々試しています。その方が何となく違った考えが閃き、気付きがあるような気がしています。

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