鈴木敏文セブン&アイ会長は、なぜ辞任したのか?

田原 総一朗

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長(CEO)が辞任を表明した。鈴木さんがイトーヨーカ堂に入社したのは1963年。その後、アメリカでコンビニエンスストアに出会う。この業態を日本で展開すると決意し、1973年、「セブン-イレブン」の事業ライセンスを得て、翌74年、国内1号店をオープンさせた。

当時は大型店全盛の時代である。「コンビニなんて日本では成り立たない」と言われたという。しかし、鈴木さんの読みは正しかった。いまやコンビニは日本人にとってなくてはならない存在、あって当たり前の存在になっている。生活インフラと言ってもいいだろう。鈴木さんはいつしか、「流通の神様」と呼ばれるようになった。

セブン-イレブン・ジャパンの社長だった井阪隆一さんの辞任を求める人事案を鈴木さんは提案した。ところが、それが否決された。そこで彼は、自身の辞任を決めたそうだ。会見でも、鈴木さんは井阪社長の経営手腕を強く批判していた。いったい何があったのか。

周辺に取材したところによると、どうも鈴木さんが次男を後継者に、と画策したようだ。鈴木さんの次男の康弘さんは、セブン&アイ・ネットメディア社の社長を経て、昨年5月にセブン&アイ・ホールディングスの取締役に就任している。いずれの会社も関連会社だ。

これは事実上の「後継者指名」だったと言われる。鈴木さんは世襲を否定しているが、周囲から見ればやはり「世襲」である。鈴木さんは83歳だ。昨年秋、病に倒れたことも影響したのだろうか。彼は、井阪社長更迭を画策したが、創業者である伊藤雅敏名誉会長が反対した。取締役会で人事案は否決されたというわけだ。

僕は、鈴木さんを何度も取材したことがある。鈴木さんは、味を確かめるために、昼ごはんは毎日セブン-イレブンの弁当を食べていると話していた。押しも押されぬ一流の経営者が、毎日コンビニの弁当を食べるというのだ。僕はとても驚いた。けれど、さすが「流通の神様」だと感じ入った。情熱、執念のようなものさえ感じたのだ。

その鈴木さんが、我が息子を後継者にしたいばかりに、無茶な人事案を出したというのか。鈴木さんのこんな引退劇を誰が予想したというのか。「鈴木さんほどの経営者でも、やはり人間だったのだな」というのが、僕の偽らざる感想だ。人間は強くて弱い。しかし、だからこそおもしろい。


編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2016年4月25日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。