※舞台控室にて5/15撮影。左は稲垣、右はイッセー尾形。
米国のオバマ大統領が27日に広島を訪問することに関連し、安倍首相は「オバマ大統領が被爆の実情に触れてその所感を世界に知らせれば、核兵器のない世界を実現するのに大きく役立つだろう」と主張した。戦争を過去の出来事として考えられるようになっている今日、その時代に向き合うことは大変意義のあることだと思う。
朗読舞台、「逢いたくて・・・」を鑑賞してきた。原作は、エッセイストの稲垣麻由美(以下、稲垣)による『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(扶桑社)である。16人の俳優が日替わりで登場する。
男性陣はイッセー尾形、北村有起哉、劇団EXILEら9人。女性陣は石野真子、奥菜恵、紫吹淳ら7人。作・演出は樫田正剛。テレビドラマの脚本や作詞(EXILE代表曲『道』、三代目J Soul Brothers『風の中、歩き出す』)などがある。
朗読舞台は、男2人と女1人の3人構成。椅子が3つ並べられたステージで緊張に静まり返った空気のなかを言葉がよどみなく流れていく。戦争という重すぎるテーマについて淡々と歴史的背景を伝えつつ、なにかを感じてもらうには朗読舞台は効果的だったのではないかと思う。今回は劇団EXILEのメンバーが出演していたこともあり、若い観客が多かったことが印象的だった。
●戦争を題材にした作品について
鑑賞後に、いまは亡き祖父の言葉を思い出した。私の祖父は近衛兵(近衛師団)に所属しており、皇居と東京の防衛をおこなっていたこと、当時では名誉なことだっということをよく聞かされた。しかし「戦争は二度と繰り返してはいけない」と体験の詳細については多くを語ろうとしなかった。
「戦争」は非常に難しいテーマでもある。過去の作品においても評価は割れている。まず思い出すのが井伏鱒二の『黒い雨』(新潮社)である。原爆投下から20年を経た1965年に上梓されて平和な日常と原爆被害の惨状を伝えた。その対比は生々しく、風化を懸念した井伏鱒二が未来に向けて書いたものである。しかし若い人には重すぎて手に取りにくい。
2年前に大ヒットした『永遠の0』(講談社文庫)は一部で「特攻隊を美化している」ともいわれた。しかし著者の百田尚樹は、「当時の航空兵は戦死率が高く、そこで『とにかく生きて帰る』というキャラクターを据えることで『生きる』ことを問えるのではと考えた(2013年12月20日付の日本経済新聞)。」としている。
稲垣の作品は史実に基づいている。鎌倉在住の渡辺喜久代さんから、「見せたいものがある」と手紙の束を見せられた。手紙は喜久代さんのご母堂、しづゑさんが80年近くも前、戦時下の1937年12月から翌年12月にかけて綴った恋文だった。「この手紙は次の世代に戦争とは何かを伝えるのに役に立つかしら?」。喜久代さんの言葉が刊行のきっかけになったという。その後、6年にもおよぶ入念な調査をおこない上梓するにいたっている。
※115通の手紙一部。
●舞台の「あらすじ」について
結婚間もないしづゑは、戦地にいる夫にひたすら恋文を送り続けた。昭和20年、激戦の地フィリピン。連合軍の圧倒的な物量の武器と火力、そしてマラリアに襲われ、敗走する日々を送っていたが生きる希望を捨てなかった。部隊の9割が戦死した激しい戦闘と飢餓のなかで決して手放さなかった物があった。それが115通の手紙である。
通信手段が発達したいまでは考えも及ばないが、「愛する人に気持ちを伝えたい」と思う妻の実直な思いは、読む人の心を揺さぶらずにはいられない。
夫である山田藤栄さんは、1944年にフィリピン・ミンダナオ島に赴任して1152人の部隊を率いていた。なお、藤栄さんは戦後、戦争での体験をほとんど語ることはなく1997年に永眠している。
稲垣は、「学生時代から歴史が苦手で難航しました」と苦笑いをする。それでも藤栄さんの軍歴証明書と史実を丹念に照らし合わせ、当時の部下に会いに行くなどして手紙の背景をあきらかにしていった。
現在は書籍のプロデュースなどに携わっている。「1冊を書き上げたことで燃え尽きてしまった。これ以上の作品はできない」とも述べている。しかし、どこかに同様の歴史的産物が眠っているはずである。稲垣はそれらの産物とまた出会うに違いない。そして、稲垣の手によって再び日の目を見るのだと確信している。
「私が戦争について向き合うことができたように、多くの人が社会や歴史を見つめ直す機会になれば」と穏やかに語る、稲垣の表情には一点の曇りもなかった。
●尾藤克之(BITO Katsuyuki)
コラムニスト/経営コンサルタント。議員秘書、コンサルティング会社、IT系上場企業等の役員を経て現職。著書に『ドロのかぶり方』(マイナビ)『キーパーソンを味方につける技術』(ダイヤモンド社)など多数。
Amazonプロフィール