ヒトラーは本当に再現するか

長谷川 良

アドルフ・ヒトラーの著書「わが闘争」(Mein Kampf)は解禁され、再出版されている。ところで、欧州全土を荒廃化させ、ユダヤ民族を虐殺したヒトラーが21世紀の今日、再び現れるだろうか。ここでは1945年に愛人エヴァ・ブラウンとともに自殺したヒトラーの“再臨”を問うているのではない。あくまでもヒトラーのような政治信念を標榜する独裁者が出現し、欧州を再び大混乱に陥れるかだ。

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▲「自由党」大統領候補者ホーファー氏の選挙パンフレット

欧州のメディアを追っていると、ヒトラーの再現は決して空想物語ではなく、現実的な懸念となってきている。ヒトラーの出身国オーストリアで22日、大統領選挙の決選投票が実施される。2人の候補者が大統領府入りを目指して戦っているが、次期大統領に現時点で最も近い候補者は極右政党「自由党」のホーファー氏(45)だ。対抗候補者は「緑の党」前党首、バン・デ・ベレン氏(72)だ。

独有力メディア、週刊誌シュピーゲル最新号(5月14日号)の表紙タイトルにオーストリアを掲げ、オーストリアの大統領選の行方を追っている。ドイツが隣国オーストリア国民のヒトラー政権への歴史的認識が十分ではないと懸念していることは分かる。換言すれば、ドイツ国民はナチス・ヒトラー政権の戦争犯罪に対し弁明の余地がないことを認識しているが、オーストリア国民は依然、「われわれは犠牲者だった」という意識が強く、加害者意識が乏しいのではないか、というのだ。その歴史的認識不足がホーファー氏など極右政党自由党の台頭を許していると受け取っているのだ。

ホーファー氏が先月24日の第1回の大統領選で得票率35%を越えると、欧州諸国で一斉に赤ランプが灯った。オーストリア大統領にナチス・ヒトラーを崇拝する政党指導者が選出される可能性が現実味を帯びてきたからだ。アルプスの小国の大統領は名誉職であり、実質的な政治権限は皆無に等しい。にもかかわらず、オーストリアだけではなく、欧州各国がその結果に強い関心を注いでいるのだ。それはヒトラーの再現を身近に感じ出したからだ。

オーストリアでは、投票日が近づくにつれ他の政党が次々とバン・デ・ベレン氏支持を表明してきた。第1回投票で3位だったイルムガルド・グリス元最高裁判所長官(69)はこれまで決選投票での立場を明確にしなかったが、18日、バン・デ・ベレン氏支持を明らかにしたばかりだ。これで、与党・社会民主党、「緑の党」、「ネオス」の3党はバン・デ・ベレン氏の支持を正式に表明したことになる。国民党も支持表明こそ出していないが、著名な党員が個人的に支持を明らかにしている。いずれの政党もバン・デ・ベレン氏が大統領に相応しいからというより、ホーファー氏を大統領にしてはならないという危機感から出た対応だ。これでホーファー氏を当選させない包囲網が構築されたわけだ。

それではホーファー氏の何を恐れているのだろうか。バン・デ・ベレン氏はホーファー氏との討論で、「あなたはシュトラーヒェ党首のマリオネットに過ぎない」と指摘している。ホーファー氏が大統領に当選すれば、次はシュトラーヒェ党首の自由党が次期総選挙に勝利して政権を奪う。そして政権、大統領府が自由党の手に陥るという悪夢だ。それはナチス・ヒトラーの再現を意味するというのだ。

自由党は極右政党に分類できる政党だ。欧州連合(EU)の統合に消極的であり、難民問題ではオーストリア・ファーストを前面に出し、外国人排斥を選挙戦では訴えて、躍進してきた。欧州レベルでは、フランスの ジャン= マリー・ル・ペン党首が率いる「国民戦線」、オランダのヘルト・ウィルダース党首の「自由党」など極右政党と連携を深めている。自由党は機会ある度にナチス・ヒトラーの戦争犯罪を認識し、明確な距離を取っている。シュトラーヒェ党首も先日、イスラエルを訪問したばかりだ。ただし、党員の中にはネオ・ナチを彷彿させるメンバーも加わっていることは事実だ。

自由党の躍進を恐れる既成政党は自由党を「ナチス・ドイツの再現」と批判することで、その躍進を阻止しようとしているのではないか、という疑いも払拭できない。ホーファー氏の穏やかな話し方をみていると、同氏がナチスドイツの再現を演出している政治家とはどうしても受け取れないからだ。バン・デ・ベレン氏は、「ヒトラーも当初、過激な政治家という印象はなかった。油断している時、ヒトラーはあっという間に独裁者の立場を獲得し、欧州全土を戦争の中に陥れた」と指摘し、ホーファー氏の笑顔に騙されてはならないと警告を発している。

極右政党の主張は欧州統合にはマイナスだが、ヒトラーの再現という警戒心から自由党を孤立化させる対応にも限界が見えてきている。例えば、欧州の難民対策は、メルケル独首相の難民歓迎政策から国境管理の強化、受け入れ制限など、自由党がこれまで主張してきた厳格な難民政策に修正されてきている。すなわち、自由党の難民対策が現在、欧州の政策となっているのだ。

自由党の躍進の背景には、欧州の政治をこれまでリードしてきた2大政党、キリスト教民主系政党と社会民主党系政党の政治への批判と失望がその根底にあるのでないか。自由党を包囲したとしても、自由党に流れてきた国民の票まで奪い返すことはできないことは、これまでの選挙戦の結果が物語っている。

第1回投票でトップとなったホーファー氏は「戦後から続いてきた社民党と国民党(キリスト教民主系政党)の2大政党への批判票が私に集まった」と語っているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年5月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。