時代は“怒る人々”で溢れている

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の叔母で、米国で亡命生活を送る高英淑氏は米紙ワシントンポストのインタビューの中で、「金正恩氏は幼い時から短気だった」と語っている。金正恩氏の父親、故金正日総書記の専属料理人だった藤本健二氏は4月、訪朝して金正恩氏と再会したが、その時、金正恩氏は米国の言動に、「むかっとなってミサイルを発射している」(毎日新聞)と言って、弾頭ミサイルを発射した理由を説明したという(「北のアングリ―バーズはもっと怖い」2013年11月8日参考)。

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▲アングリーバード(2013年11月6日、撮影)

米大統領選の民主党候補者で社会主義者を自任するバーニー・サンダース上院議員は17日、「米国民は既成の政治に怒っている」と主張している。同氏は「政治革命」を訴え、ウォール街や資産家を過激な言葉で批判し、熱狂的な支持を集めてきた経緯がある。同氏は人々の怒りを助長するのが巧みだ。

パリで来月10日、サッカー欧州選手権(ユーロ2016)がオープンするが、オランド政権が祝日の削減や最低賃金の事実上の引き下げなど労働市場の改革案を検討していることに対し、労組は怒りの反対デモを実施中だ。開幕式の6月10日も労組関係者はデモを継続する考えという。労組関係者は「ユーロ2016を楽しみたいのは当然だが、自分たちの生活を守ることはもっと大切だ」と、強硬姿勢を崩していないという。

アルプスの小国オーストリアで大統領選挙の決選投票が今月24日実施されたばかりだ。極右政党「自由党」が擁立した大統領候補者が当選する可能性があるとして、国際メディアもウィーン入りして報道した。結果は極右候補者は当選こそできなかったが、有権者のほぼ50%を獲得したことが明らかになり、欧州政界に大きな衝撃を与えた。自由党に投票した多くの有権者は既成政党への怒りや抗議が動機だったといわれる。すなわち、オーストリア国民の50%が怒っていたわけだ。

国際社会から孤立している北朝鮮の独裁者から米大統領選の民主党候補者、パリでデモ行進する地下鉄労組、そして極右政党に投票するオーストリア国民まで、怒りが蔓延している。怒りから政治革命を主張し、怒りからデモ集会に参加し、投票場で極右政党の候補者に票を投じたわけだ。怒りが人々の行動の主要な動機となってきているのだ。

もちろん、怒りは現代人の特権ではない。歴史的人物も怒ってきた。例えば、旧約聖書の英雄、モーセだ。紀元前13世紀ごろ、モーセは約60万人のイスラエル民族を主導して奴隷だったエジプトから出国し、神の約束の地カナンに向かった。イスラエル民族が途中、腹が空いたと不満を吐露し、モーセを苦しめた。モーセは神に会うために山に登っていた時、イスラエル民族は偶像の金の子牛を作りそれを崇拝していた。その姿をみたモーセは激怒して、神からもらった十戒を記した石版を投げ捨てて壊してしまった。熱血漢のモーセは偶像を拝む民を見て我慢が出来なかったわけだ。その結果、モーセはカナンを目の前にしながらカナンに入ることが許されなかったという。怒りの代償はモーセにとって大きかったわけだ。

腐敗、堕落が溢れている今日、人々が怒るのは当然かもしれない。怒る自由がない社会は苦しい。しかし、怒り過ぎる社会も幸せではない。少なくとも穏やかな時代といえない。中東を暴れ狂うイスラム過激派テロ組織「イスラム国」の蛮行の背後には欧米文化への怒りがあることは間違いないだろう。

21世紀は物質的には豊かになった。手に入れたいものは街に溢れている。しかし、欲しい物を全て手に入れることが出来る人は限られている。現代の怒りは、政治家の無能と腐敗、そして貧富の格差などに向けられている。その怒り、不満を誘導する政治家、指導者が出てきたら、多くの国民はあっさりその声に従っていく。

「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる」と語ったギリシャの哲学者ピタゴラスの名言を思い出す。怒りを抑え過ぎるのは健康に良くないが、怒りを暴発すれば自己コントロールを失う。怒りを管理できる人はまれだからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。