「サウジの人々が、経済を多様化することにインセンティブを感じないほどには、増産したくないのだ」
これは2009年、当時サウジアラムコのCEOだったファーリハ現エネルギー相が、WSJの編集長を務めたことのあるMs. Karen Elliott Houseとのインタビューに応えた時の発言だ。(出典 ”On Saudi Arabia” 2012)。
1947年生まれのMs. Houseは、2006年にジャーナリストとしての現役を辞し、その後の5年間に何度もサウジを訪問して多くの人々に取材をし、”Its people, past, religion, fault lines – and future” というサブタイトルのついたこの本を書いたのだが、当時脚光を浴びていた「ピークオイル論」を前提においているようだ。サウジの将来の不安要因の一つとして、原油生産がピークを迎え、減退し始める可能性を上げているのだが、それを裏付けるためにファーリハCEO(当時)とのインタビューを引用している。前後の文章の要点を紹介しよう。
『2010年の夏、アブドラ(当時)国王が米国のワシントンで、「アブドラ国王奨学金」で留学している約3万人のサウジ人学生を前に演説し「将来の世代のために王国が持つ炭化水素(原油や天然ガスのこと)という冨を残すべく、探鉱活動を中止するよう命じた」ことを明らかにした。
この「探鉱中止」について公式の説明はないが、サウジの主要油田がすでにピークを迎え、生産余力がないことを意味しているのではないか、との疑問を多くの人にもたらした。
サウジアラムコのCEOであるハーリド・アル・ファーリハは、サウジの石油生産について曖昧な回答をしている。2009年の春に、サウジはスイング・プロデューサーとして価格を安定化させる役割を担い続けられるのか、と質問したら、需要が生じたら時間内に供給をバランスさせるために増産することはできる、とし、さらに次のように語った。
「問題は、我々がそうすべきかどうか、だ。我々の長期的な戦略は、サウジ経済が石油を離れても成長できるようにすることなので、石油をゆっくりと使うように生産を調整するのであり、サウジ経済が脱石油経済(non-oil economy)に転換できるようにすることにある。
サウジの人々が、経済を多様化することにインセンティブを感じないほどには、増産したくないのだ」
彼の発言は極めて思慮深いものだが、果たして言葉を選んだのだろうか、それともそう言わざるを得なかったのだろうか。もし後者だったら、サウジの総埋蔵量は急激に減退しており、生産も下落し、サウジのみならず世界経済にとっても警戒を要するものになる。(first vintage book edition 2013の248頁より引用)』
筆者は、現在の展開から明らかなように、ファーリハ・エネルギー大臣は、当時から「脱石油化」の必要性を認識していたのだ、と判断するが、いかがであろうか。
ファーリハ・エネルギー大臣の発言は、本書にもう一箇所出てくる。Ms. Houseが、現在のサウジが目指すべき「開かれた社会」が、すでにサウジアラムコでは実現できている、として紹介している箇所(224頁)だ。
サウジアラムコのあるコンパウンドの中には宗教警察が立ち入らないこと、男女が一緒の部屋で、スンニとシーアが混じって仕事をしていること、教育は賞賛に値するものであり、ハードワークが期待されていること、カトリック、プロテスタントあるいはモルモンの宗教儀式が行われていることなど、サウジの一般社会では見られない現実を紹介した後、Ms. Houseの質問にファーリハ氏は次のように応えた、と記述している。
「サウジアラムコには能力と訓練とを評価する企業風土がある」
「人種や出身部族は関係がない」
「今ではシーア派の副社長もいる」
ナイミ前石油相も同様なのだろうが、サウジアラムコの経営陣が、真っ当な環境の中で、真っ当な経営判断を下す経験、知見、能力を備えているのは間違いがない。だが、他の役所にはどれだけの人材がいるのだろうか。
Ms. Houseのこの本はたいへん勉強になった。保守的宗教界が教育を牛耳っていること、宗教警察の存在、隠されている数多くの貧困家庭、増大する若者世代の就職問題、女性の社会進出など多々学べたが、特に本書は、筆者が女性であるがゆえに女性に直接インタビューできたことが強みだろう。
だがサウジの最大の問題は、第二世代から第三世代へ権力が移行するにあたり、どこか一つの家系に権力が集中してしまうのかどうかにあるようだ。もっと勉強しなければ。
サウジの現在がわかるこの本、誰か中東の専門家が翻訳をしてくれないかな。
編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2016年6月5日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。