グローバル・ジハードの「拡散」

池内 恵

(新潮社フォーサイト)「ボストン・テロ」は分散型の新たな「グローバル・ジハード」か?
http://www.fsight.jp/16260

米国のナイトクラブ銃撃事件、犯人が「イスラーム国」への忠誠を自ら警察に通報して誓って見せており、他方で「イスラーム国」関連のメディアが、直接事前に支援や指示した様子がないが仲間と「認める」声明を出している。自発的な呼応を基調とするグローバル・ジハードの「拡散」の典型的な形だろう。

繰り返して生じるグローバル・ジハードの事象については、とりあえず以前の記事を無料で公開した。今回も同じことが起こっているだけだと思う。米国の文脈では、直接の指令や支援がなくても、大規模な殺害を行える武器が出回っているので、被害が大きくなる。ただしグローバル・ジハードに刺激されなくても頻繁に銃犯罪が起きているので、これが米国にとっての最大の課題であるかというとそうとは言えないと思うが、政治的には重大な問題として問題化されるだろう。テロは多くの部分は政治社会的な認識によって構成される部分があり、グローバル・ジハードは特に、組織的な基盤がないのに対して、メディア上で認知させることには長けている。それは、信者にもそうでない人にもよく知られているジハードの理念を用いていることに由来する。テロを行う側にも、テロを向けられる社会にも、容易に認知される。

オバマ大統領の声明を見ると、いつもながら、この構造をよく分かっているな、と思う。オバマは、ジハードの問題に関して、オバマの支持層である世俗的なリベラル派とは、実は考えが全く違う。それはインドネシアで潜在的な「改宗者」という極めて危うい立場で過ごしたという経験が関係しているのかもしれない。オバマは明らかに非常にリベラルな人だが、リベラルではない人がこの世の中にいる、それを支える規範があり、その規範は多くの場合はその社会では肯定的な作用を持っており、アメリカが変えることはできない、という現実を認識して、その上で政治的な正しさと現実的な適切な対処策とをバランスさせている。

米国にしてもフランスにしても、世俗化したリベラルで唯物論的な人たちが「分析」する側に偏って存在しているので、「教義」に基づいて「動かされてしまう」人たちがいることを理解できない(←オバマはこのことをよく分かっているようだ)。

毎度繰り返される「犯人は宗教的な人ではなかった」という議論も、的外れ。この場合の「宗教的」とは「お祈りをしない」「モスクに行かない」と言ったことで、宗教が個人化され内面化され、儀礼の側面に限定された近代の欧米のキリスト教の文脈でしか当てはまらない。イスラーム教は、それに飽き足らない人に支持を広げている。

それこそパキスタンのように「夫が妻を殴って従わせることは宗教的な義務」と有力な政党や宗教者が主張する場合もあるように、「何が宗教的か」は支配的な価値規範によって異なる。グローバル化するとアメリカのど真ん中でそのような価値観を抱いて生きていることも可能になる。

しかし、そもそも日本のイスラーム研究者は揃って「イスラームとは政治や社会的な要素を含む包括的なシステムであり、キリスト教のように内面的・儀礼的な信仰にとどまらない」と議論して、宗教を個人の祈祷など儀礼的な内面的な側面に限定されないと議論して、「欧米中心主義」を批判していたはずだ。しかし、それは「近代の超克」の実例として「イスラーム」に夢を託していただけであり、戦後日本の「平和主義」を無理に結び付けていた、現実とは懸け離れた議論だった。「包括的だが戦争やテロは含まない」というありえない話になってしまっており、9・11テロ以後は、都合が悪いので「包括的」という話をしなくなった。本来なら、ここで「実は、イスラーム教における宗教的であるということは、欧米で言われているような、モスクに行くかどうかとは違うんです。特定の価値規範を他者に強制することを肯定、義務化する政治的な面をも含んでいるのです」と言わなければならないはずだが、ほっかむりすることが業界で生きていくための正しい振る舞いになっています。

「地震予知できます」と言って莫大な予算をとって使い、その余波として、予知できることを前提の避難訓練とか全国の学童に何十年もさせたりもしてきた地震学業界などに比べれば、使った予算は何桁も少ないけれども、やはり反省すべきだと思うんだがなあ。そのような学問的には間違っているけれども政治的には「正しい」ことを言ってそこに予算と権限を集中させると、歪んだ権力構造の元でそれに心の底から、あるいは功利的に外面的に従う人材ばかりが育成されてしまう(現実を認識する、あるいは認識したことを自由に話せる人が社会からいなくなる)ことも長期的な問題。構造の制約を個人で乗り越えられない人も多いということが、残念ながらかなり長い間学問の世界にいた上での結論。


編集部より:この記事は、池内恵氏のFacebook投稿 2016年6月13日の記事を転載させていただきました。転載を快諾された池内氏に御礼申し上げます。