ここはどこでもない、キプロス

キプロス島は、まるで左側に泳ぐ「鯛の鯛」。地中海が右側に横たわる人の姿と見れば、その「目」に当たる。すぐ上にはトルコ。すぐ右にはシリア。でもEU加盟国。難民から一番近い欧州。 (北レフコシアの市場)

ボストン郊外に住んでいた時の大家さんクリストウ家がギリシャ系のキプロス人だった。
いつか行く、と約束していた、その宿題。
東西南北をクルマで回ってみた。
(山越え街道、カコペトリア)

キプロスのクリストウ家はハーバードやらMITやらブラウンやら、やたら高学歴だった。
小国は頭でシノぐ、てな感じだった。
ご主人は顔より鼻のほうがデカかった。
風邪をひいたらにんにく丸ごと1個焼いてコレ食えば治る、と教えてくれた。
よく白い菓子を作ってくれた。

ヒッタイト、アッシリア、ペルシャ、ローマ、ビザンチン、フランク、ヴェネチア、オスマントルコ、イギリス。
マルタとは顔ぶれは違えど、征服された歴史。
そしてここも近代はイギリスの影響下に。60年独立。
(北キプロスに残るオスマントルコ隊商の宿)

1974年、南北分断。
南部ギリシャ側は2004年にEUに加盟、2008年ユーロに転換。
北部トルコ側は取り残された。
だが南側も2010年のギリシャの金融危機の巻き添えを食らう。
(北レフコシア)

ラルナカもニコシア(レフコシア)も、見たことのない風情を漂わせる。
ギリシャのような、トルコのような。
メキシコのような、ロシアのような。
でも、どれでもない。
ここは、どこでもない。
キプロス。
(ラルナカ、聖ラザロ教会)

中立国の、ジュネーブやウィーンの場末のような雑然とした雰囲気。
あるいはアンドラ公国やサンマリノ共和国のような、無国籍感。
いや、違う。
どれでもない。
ここは、どこでもない。
キプロス。
(ニコシア)

東西の征服史、宗教の交流史、それはモザイクとして点描となっているのかもしれないが、東洋の旅行者には、混ざり合った一つのキプロス文化、に見える。
(北キプロス、1208年建築の聖ソフィア教会/セリミエモスク。ゴシック建築の中はモスク。)

暖かい南のはずれで歴史のある開発途上の島。
ここは欧州の沖縄みたいなもんか。
(パフォスの遺跡にある3世紀のモザイク)

レゼウスの父クロノスがその父ウラノスのアソコを切って海に投げ捨てたら泡がわいてココPetra Tou Romiouについたという話を信じてやってくる人たちをぼくは見に来た。

街にはマクドもケンタもスタバもある。
ラジオはトルコとロシアの情勢ばかり話している。
銀髪、深いシワでしかめっ面したギリシャ人ぽいジジイどもが大勢カフェで何もしていない。

トルコ側の北キプロスに入ったところに偶然、Akıncı大統領がいて、なぜか握手された。
生まれて始めて国家元首と握手した。
後ろに大声でコーランが流れていた。
悪魔くんオープニングのエロイムエッサイムとメロディーが同じだ、と思った。

(悪魔くん オープニング。50年前の晩の7時、子ども番組。怖くて、楽しみだった。当時の子ども向け作品に対する本気度たるや。)
https://www.youtube.com/watch?v=l9WN–Z6hmc

ところで、イギリス連邦なんだが、ポストが黄色い。

北キプロスのポストも黄色くて、似ている。
南北、仲良くしてね。

レース編みで知られる山中の美しい村レフカラの感動的なまでに反応の悪いタッチパネル案内サイネージ。

大晦日、オヤジたちが皿を大いに割って厄落としをしておりました。
よいお年を。

キプロス報告おしまい


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年6月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。