メールでの議論より対話と実践の練磨を

組織の部門間のコミュニケーションでは、意見の対立がたびたび起こります。特にほとんど顔を合わせずメールだけでやりとりする場合には、各々の主張が繰り返されるだけになる恐れもあります。強引に前に進めるために、「こちらの言う通りにしてくれなければこのプロジェクトは終わってしまう」などと誇張した内容をメールに書いたり、権限を持つ上司の支持を求めたりもできるのでしょうが、筆者はそうやって過去に問題を起こしてしまいました。

アメリカで働いていたとき、筆者は日本のある食品向けに原料を開発・製造・販売するプロジェクトに携わっていました。アメリカの開発・製造部門が情報開示に難色を示し続けている中で、「日本人は品質にこだわる」とか「日本では顧客が神様だから」などとメールだけで無理に対応を依頼し続け、どうにか最初の商業ベースの製造が行われることになりました。

しかし予期せぬ機械のトラブルで実際の製造手順が事前の取決めと異なるものになってしまい、その最初の製造分を購入してもらえない結果になったとき、工場長の怒りが爆発しました。筆者には工場内で禁止されていた写真撮影を行ったとの濡れ衣が着せられ、そのプロジェクトの製造を中止するというメールが上層部に送信されてしまったのです。

筆者のコミュニケーションを反省するために、経営学の「知識経営(ナレッジ・マネジメント)」の考え方を見ていきたいと思います。その提唱者として世界的に影響力のある野中郁次郎先生は、「対話(言語)と実践(行為)を繰り返していく中で新たな製品・サービスを生み出すプロセス」を下図のSECIモデルに示しました。

(出所:http://www.slideshare.net/InnovationSprint2011/2011-6794551

左上の共同化は、物理的に一緒の場所で時間を共にする体験を通じ、各個人の無意識の前提にある価値観の違いが浮かび上がり、互いの違いを認めて理解しあうようになるプロセスです。例えば「ユーザーとの対話を通して、ユーザーとしての立場で考えること」は、この共同化の過程であると言えます。

右上の表出化は、まだ明確な形をとっていない自分の考えや思いを文章や図などの具体的な形に表現し、集団に効率的に伝えていくプロセスです。この過程においては、個人の内部でも焦点が明確になり、新たな気づきが起こります。具体的には、「喩えを用いて新製品のコンセプトを創造する」とか「技能をマニュアルやシステムに落とし込む」といった過程が考えられます。

右下の連結化は、表出化された形式知を外から集めて分析したり、別の形式知と組み合わせて編集・体系化したりする過程です。連結化とはまた、コンセプトを製品などに具現化することでもあるとされます。具体例としては、文献や調査資料の読み込み、データ分析に基づく販売促進法の考案、試作品の製作などが挙げられます。

左下の内面化は、連結化により組織的に体系化された販売促進法や製造手順などの形式知を現実に行動に移し、その結果から自覚的に反省し、さらに工夫を加えて実践してみることで、「次第に個人の暗黙知として血肉化していく」過程です。実験や製品テストなどの開発にかかわる経験、市販後の顧客サポート、製品のマイナーチェンジなどがこの内面化のプロセスとして考えられます。

これらは実際には境界が曖昧な連続したプロセスになると思われます。また、個人の視点が自己と他者の間を絶え間なく行き来する中で「主観的な経験が…組織的な知識や知恵として膨らんでいく」ということが、知識経営(ナレッジ・マネジメント)の基本の一つであると言えるでしょう。

この考え方に立てば、筆者のコミュニケーションには互いの思いや価値観の違いをぶつけ合う「共同化」の段階が欠けていたことがまず見えてきます。実際には、それは問題が起きてから初めて実現しました。工場長のメールを受けた筆者は、直ちにオフィスから車で2時間半離れた工場へと向かいました。事態の深刻さに驚いてすっかり参ってしまっていたので、思っていたことを伝える以外にできることはありませんでした。

工場の会議室で工場長と対面した時、まず写真撮影を決して行っていないことを丁寧に説明しました。また、日本の顧客がなぜ自分たちから原料を買おうとしてくれているのか、その食品が日本人にどのように親しまれているか、ここで製造された原料が使われることが自分を含めた日本人スタッフにとってどんな意味を持つか、などといった話をしました。

すると工場長は意外な話を始めました。過去に顧客として視察に来た日本の企業が、結局原料を買わずにアメリカ国内に競合する工場を建設してしまったというのです。また、アメリカの田舎町での雇用機会の創出に関わっている誇りや、工場で働く人たちに感じている責任などについて話してくれました。面談が終わって工場を後にするとき、彼はちょっと待てと言って再び建物の中に戻り、工場のロゴが入った上着を持ってきて筆者に手渡してくれました。

彼らが当初から情報開示に神経を尖らせていた理由が、そのときからようやくわかり始めた気がします。知識経営(ナレッジ・マネジメント)の用語を用いるなら、筆者は技術も持たずに相手を説得しようとばかりしていて、「各個人が自らのかけがえのない体験・信念・価値観にコミットして語りあうこと」としての対話を行っていませんでした。対話には「相互の信頼」が不可欠ですが、筆者たちの間に信頼関係はまだ構築されていませんでした。

また知識経営(ナレッジ・マネジメント)では、対話(言葉)で解消されない対立が、実践(行為)から蓄積された直観によって解消されうると考えます。筆者たちの場合は、試作品や試験設定を作る過程で、メールによるコミュニケーションの限界をよく理解せず、不用意に喧嘩し過ぎていたのかもしれません。その後で実現したように、筆者が工場近くのモーテルに泊まって工場長たちとジャックダニエルを飲んだり、工場長が日本に来て頭にネクタイを巻いたりしながら、試作品や実行案について話し合い、実際の試験の場も共体験できることが望ましいと考えられます。地理的に直接のコミュニケーションが難しいときのICT(情報通信技術)の利用の仕方は、それ次第ではマイナスに働くという点で、決定的に重要であるのかもしれません。

最後にもう一つだけ書かせてください。工場長と日本の鉄板焼き店に一緒に行った時、「おいヒロキ、写真を撮ってもいいかシェフに聞いてくれ」と彼が頼むので、「そんなの大丈夫だよ」と答えました。「なんでわかるんだ?」と聞くので、「えーと、僕らがお客さんだから?」と返してしまいました。そのとき「オレは客に写真は撮らせないけどな」と言った彼のいたずらっぽい微笑みが、いまでも時折思い起こされることがあります。

髙橋 大樹

翻訳・執筆他の業務受託/経営学・組織の経済学の研究/アゴラ執筆メンバー

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【主要参考文献】

  1. 野中郁次郎・竹内弘高(1996),『知識創造企業』,東洋経済新報社.
  2. 野中郁次郎・紺野登(1999),『知識経営のすすめ』,ちくま新書.
  3. 野中郁次郎・遠山亮子・平田透(2010),『流れを経営する』,東洋経済新報社.
  4. Polanyi, M. (1962), Personal Knowledge: Towards a Post-Critical Philosophy, The University of Chicago Press.(長尾史郎訳(1985)『個人的知識―脱批判哲学をめざして』ハーベスト社)
  5. Polanyi, M. (1967), The Tacit Dimension, The University of Chicago Press.(高橋勇夫訳(2003)『暗黙知の次元』ちくま学芸文庫)